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水掛け論は不毛かどうか



答えの出ない話や、正解のない話は白熱した議論になりやすい。

先日、恒例の麻雀仲間たちと安保、国立競技場、原発の問題で飲み談義をしたが、
持論はそれぞれあるが、これが正解というゴールには辿りつけない。

昨晩のたけしのテレビタックルで、これまた水掛け論争をやっていた。
http://www.tv-asahi.co.jp/tvtackle/backnumber/0069/

捕らわれて監禁される動物園の動物は不幸?
エサに不自由せず長生きできてむしろ幸せ?


ゲストのコメンテーターが各々意見を語る。

テーマは、動物園は「いるか」「いらないか」の話なのだが、いる派といらない派で主張や見解がそれぞれ噛み合わない。客観的に見ていると、どちらも人間のエゴそのものの主張である。

「いる派」は、文化的生活にとって必要条件であるが絶対条件ではない。
結局、娯楽であり企業経営である。だが、それはもちろん悪ではないし動物園のような
アミューズメント施設は社会的な貢献度も高く自治体にとってもありがたい存在だ。
しかし、表面的に「こどもの未来」「命の尊さ」とか歌われると胡散臭いことこの上ない。
もちろん、大いなる志はあるのだろうが口にされると欺瞞ぷんぷんで信用しがたい。

かたや、「いらない派」は動物たちの自由を奪って命を弄んでいる残虐極まりない施設だとする。
確かにあの狭い檻に押し込んで、動物たちを見世物にしている時点で人がかの動物たちを蹂躙している構図だ。
それは間違いではないし、どんなに可愛がっても所詮、人と動物。餌を与える側ともらうが側で対等ではない。
ターザンでもならない限りに、人は動物と同じ共感を得ることはできない。それは彼らが我々、人類を理解できないことと同じである。
だが「いらない派」の「命の蹂躙」もそもそも傲慢な意見だ。人は人として生きる上において他生物を蹂躙しながら歴史を作ってきているのだから。極論すれば、家畜の馬や牛、豚や鶏なども食用にしている時点で「命を蹂躙」しているわけだ。だが、弱肉強食の食物連鎖の法則では何らおかしいところはない。我々が食卓で目にするものは食べられるために生まれてきて、動物園で見て楽しむ動物たちは見られるために生まれてきたのだから。
それはそれぞれの使命を持って生まれきた。それだけのことだ。

上記の動物の幸せと不幸の話だが、そんなものは動物にはないと言い切る。
その概念は人が作り出したものだからだ。人だけが感じてそう思念を巡らすものである。
人はあらゆるものに命名する。
命名してその物体や事象や想いを言葉や文字で縛る。
故に動物の幸せと不幸などという概念は人が勝手に押し付けているだけに過ぎない。

こうまで言い切ると、動物を飼っている人々になんらかの反駁をくらいそうだが、動物たちは所作で意思表示はすれど言葉をしゃべれないし、言語を駆使した複雑なコミュニケーションもとれないのだ。この事実は覆せないし、何を持って動物の心や気持ちがわかるというのか、甚だ疑問としか言いようがない。
怯えや安堵、喜びは見ていれば誰でもわかる。なついてきたり、うざがったり。しかし、それだけだ。それだけで心がわかるわけはない。言葉を交わせる人の心ですらわからないのに、なんで言葉を使えない動物たちの心がわかろうか。
それは傲慢というより大いなる勘違いであると思っている。
わかろうとする、理解しようとするなら大いにわかる。自分も実家で犬や猫を飼っていた。
だが、何年も可愛がっていた犬は自由に散歩させると兄がリードを外してしまい、以来帰ってこなくなった。
理解できない。俺たちは家族じゃなかったんかい!と憤った。よくよく考えてみたら、あの時車にひっぱじかれて死んだとかいう発想はなかった。とんでもない自分勝手なガキだったな。
半年後にずっと下の家で飼われたいたらしい。つーか、リードを外すなよバカ兄貴と罵った記憶あり。
小さい頃から家族の一員となって可愛がってきた奴でもそうなる。あれ以来動物たちの心はわからない。わかるはずもない。

幸せと不幸という感情や概念を動物たちが本当に理解をしていたなら地球上のペットの半数以上は鬱病になって早死にするだろう。

この議論はまったくもって水掛け論である。
極論するとあってもなくてもいいのだ。
それで人の生活は変わることはない。
じゃ、なくていいじゃんとなったら、いやそれならあっていいだろと。
まさに終わらない究極のループ。

動物がテーマになってはいるが、所詮、それを本気で考えてなんらかの行動にでる人は少ない。
俺もそうだしそんなもんだと思っている。
動物は食うためのものでもあるし、労働力、愛玩、観賞用に眺めるためのものでもある。
それは、それぞれ使命を持って生まれてきているのだから、それを全うさせてやればよいのだと思う。
それは人でも動物でも変わらない。人は生を全うせずにあたら命を投げ捨てるという行為もするが。

必要以上に虐げたり、哀れんだりすることこそが動物たちにとっての一番の蹂躙ではないだろうか。

そう考えながら、今日も豚肉、鶏肉、魚を食い、猫動画で癒される。
くそ暑いので、うっとおしい言葉あそびより、別の水掛けで遊びたいところである。
適当で辛辣で偉そうなことを述べてはいるが、これもまた持論の水掛け論の言葉遊びということでご容赦願いたい。
いやいやそうじゃねえよと思う方は藤井さんのブログへゴー!

ところで不毛か不毛じゃないかと問われれば、
俺はまだ禿げてねえ。

ではまた明日。


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凸

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