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古典怪談

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夏の風物詩と言えば怪談。

日本の幽霊というのは、海外のスプラッターモンスターとは違い、人間のあらゆる情念が顕現したものだ。
故に得体のしれない不気味さがある。

夏の丑三つ時。
生暖かい風。
そして闇。

古典的な演出方法だが、本能的に人はそれを恐れる。
「リング」や「着信」呪怨」もいいのだが、もはや「幽霊映画」ではなくモンスターホラーだ。
「富江」や「てけてけ」「口裂け女」等々も同様だ。

しかも、残念ながら視覚的におぞけは走るものの、風情はない。

ひとつだけ。

ショートフィルムのオムニバス形式の映画だったが、これは怖いなと思う邦画があった。
タイトルは忘れてしまったが、古い日本の恐怖をよく描けていたと思う。
ニコニコで観たんだよなああれは。


まぁ、でも最も怖いのはやはりモノクロフィルムの昭和初期の幽霊映画だと思う。
話がシンプルで謎かけなどがない一本道の単純さに、すさまじい恐怖が刻みこまれている。
それは日本人のDNAに刻み込まれた恐怖とシンクロするのかもしれない。
外人が観て恐怖するかは疑問だが。

とりわけ、怪談「牡丹灯籠」の話が好きだ。
なんといっても話が透明感があって美しい。
男女の睦み合いの話だが、古来よりスタンダードであるが「四谷怪談」と同じく普遍のテーマだ。
元が中国の話なので、チャイニーズ・ゴースト・ストーリーの元とも言えるね。

では、現代文のあらすじがネットに載っていたので、ちょいと拝借して載せておこう。
暑い午後の暇つぶしにでもなればこれ幸いである。 

ちなみに1968年制作の大映映画のフルはようつべで視聴可能。
まぁ総天然色よりもっと古いモノクロのがやはりいいんだけどね。
興味がある人はってことで。





牡丹灯籠(ぼたんのとうろう)

 毎年七月十五日より二四日までは、盆の供え物をした棚を飾り、家ごとに死者の霊を祀る。
また色々な灯籠を作って、祭りの棚や、家の軒、または聖霊の塚に持っていって、石塔の前に灯した。その灯籠の飾り模様は、花鳥や草木など様々に可愛らしく作り上げて、その中に蝋燭を灯し、一晩中掛けておく。これを見る人は、目を奪われて行き過ぎ難い。
 また、灯籠踊りの踊り手たちが集まり、美しい声の音頭を歌い、上手に踊ることを、公家衆も、町衆も皆同じように楽しんでいた。

 天文十七年(1548年)、京の五条と京極の交差する辺りに、荻原新之丞という者がいた。
 最近妻に先立たれ、妻を思う気持ちが強く、亡くなっても未だ強く恋慕していたので、一人で寂しい窓辺でかつてのことを思い出すほどに、悲しみに暮れていた。

「聖霊祭りも、今年は特に私の妻も、亡くなった人の中に入ってしまった。」

と、経を読み、供養をして、ついに外に出ることもなかった。友達が誘いにも来たが、心はただ浮き立つこともなく、門の前に佇んで、魂が抜けたように茫然としていた。

   いかなれば 立もはなれずおもかげの
             身にそひながらかなしかるらむ


(あの人の面影はずっと私の身から離れないというのに、どうしてこんなに悲しいのでしょう)

と、歌を口ずさみ、涙を押しぬぐった。


 十五日の夜が更け、外で遊ぶ人も少なくなり、物音も静かになってきた頃、一人の美しい人、歳は二十歳くらいに見えるが、十四、五歳ほどの少女に美しい牡丹の花の灯籠を持たせ、とてもゆるやかに通り過ぎた。蓮の葉のように切れ長の目もとが美しく、柳のように細やかな姿、美しい三日月のように引かれた眉、緑の黒髪、言葉に出来ない程、あでやかだ。

荻原は月の下でこれを見て、

「このお方は天女が天から舞い降りてきて、人間世界におられるのだろうか。竜宮の乙姫が海から出てきて、私をなぐさめに来て下さったのだろうか。まるで、人間ではないように美しい。」

と思い、心ここにあらず、自分を制する気持ちも忘れ、美しさに魅かれつつ、後をついていった。

 前になり後ろになり、艶めく風情をするのに、一町ばかり西へ行ったところで、その女は後ろを振り向き、少し笑ってこう言った。

「私は人と約束をして待ちわびているのでもありません。ただ今夜の月に誘われ出てきましたが、何となく、夜更けに帰る道中が恐ろしいのです。お送り下さいませ。」

荻原は進み出て、

「あなたの帰る道のりが遠いのであれば、夜更けに不都合でしょう。私の住む所は、むさ苦しいあばら家ですが、ご都合の上で夜を明かしなされば、宿をお貸ししましょう。」

と戯れを言えば、女は微笑んで、

「窓から漏れてくる月の光を一人ながめて明け方を迎えるのは、侘しいものですのに、親切心にほだされるのが人の常でございます。」

と言って戻ってきたので、荻原は喜んで、女と手をとりあって家に帰り、酒を出し、少女に酌をさせ、少し酒を飲んで、に深くなり、深い思いの言葉を聞くに、

「今夜限りの命ということもあるのだ。」

 と、契った後のことが気にかかる。

荻原は、

 またあとのちぎりまでやはにゐまくら
              ただこよひこそかぎりなるらめ

(また後の契りまでをも願ったりはしません。ただ今宵が最後と思って初めて枕を交わすことにしましょう)

と言えば、女は、

 ゆふなゆふなまつとしいはばこざらめや
              かこちがほなるかねことはなぞ

(あなたが待っていると言ってくだされば、夕方になるたびやってきますよ、どうして諦めたようなことをお口になさるのですか)

と、返歌されれば、荻原はいよいよ嬉しく、共に許し合い初めて枕を共にし、心も互いのことを思い、まだ睦言も尽きないが、もう早くも明け方になった。

 荻原は、「あなたのお住みになっている所はどこですか? 御所ではないでしょうがお名乗り下さい。」
と言う。

 女は、「私は藤原氏の末の、二階堂政行の末裔です。かつては家も大変栄えていましたが、時は移り、今ではあるかないかの風情で、ひっそりと住んでおります。父は政宣と申し、京都の戦乱で討ち死にし、兄弟も皆いなくなり家も衰えて、私一人とこの少女で万寿寺のほとりに住んでおります。名乗るのは恥ずかしく、また悲しいのでございます。」

 と語りかける言葉も優しく、物腰もはっきりしていて、愛情がこもっている。
すでに東の空に雲も棚引き、月も山の端に傾き、灯した火が白くかすかに残っている程で、ほの明るくなってきたので名残は尽きないが、別れて帰っていった。

それから女は日が暮れれば来りて、明け方には帰り、夜毎通い来ることの約束を破ることはなかった。荻原は心を迷い、事の次第も分からなくなり、ただこの女をこの上なく思い、
「契りは千年経っても変わりません。」

 と、通い来る嬉しさに、昼になってもまた殊に人に会うこともなかった。このようなことが、二十日あまりにも及んだ。

隣の家に、よく物を心得た翁が住んでいたが、

「荻原の家に、不思議なことに若い女の声がして、夜毎に歌を歌って、笑いあっているが、奇妙なことだ。」

 と思って、壁の隙間から覗いて見れば、一体の白骨と荻原が、明かりの下に向かい合って座っていた。荻原が何か言えば、その白骨は手足を動かし、髑髏を頷いて、かつて口があったと思われる所から声が出て、話をしている。
 翁は大変驚いて、夜が明けるのを待ちかねて、荻原を呼び寄せ、

「この頃、夜毎にお客様が見えていると聞くが、どこのどなたかな?」

と言えば、なおさら隠して詳しくは語らない。翁は、

 「荻原は必ず災いがあるだろう。何を隠すのだ。今夜壁より覗き見れば、こうこうこのようであった。だいたい人としての命があるうちは、陽気で清らかに盛るが、死んで幽霊となれば、陰気が激しく邪悪に穢れる。だから死ぬと、深く遠ざけ、穢れを嫌うのだ。今あなたは陰気の幽霊と同じ所に座っているがこれを知らない。穢れて邪悪な妖怪と共に寝て、それを悟っていない。たちまち精気を消耗し尽して、生命力を奪われ、災いがやって来る。たちまち病になり、薬の治療、針灸の治療も及ばなくなる。虫が体内に入り込み、労咳(結核)の悪い症状が出て、まだ若いのにも関らず、老い先を長く待つことなく突然にあの世の者になり、土の下に埋もれてしまうだろう。誠に悲しいことではないか。」

 と言うのを聞いて、荻原は初めて気が付いて驚き、恐ろしく思う心が出てきてありのままを翁に語った。翁はこれを聞いて、

「万寿寺のほとりに住むというならば、そこに尋ねて行って見なさい。」

と教えた。

荻原はそれから五条を西に行き、万里小路をあちらこちら訪ね、堤の上、柳の林を探し歩き、人に問うても知っている人はいなかった。
日暮れになり、万寿寺に入ってしばらく休みながら、湯殿の後ろを北に行って見ると、どことなく古びた霊殿があった。近寄ってみると、棺の表に、

  二階堂左衛門尉政宣が息女弥子吟松院冷月禅定尼

 と書いてあった。傍には古い伽婢子(人形)があり、後ろに浅茅という名が書いてあった。棺の前に牡丹の花の灯籠の古いのが掛けてあった。疑いもなくこれだと思うほどに、身の毛がよだち、恐ろしく、後ろを振り返らずに寺を走り出て帰り、この頃心を迷わされていた恋も冷めてきて、自分の家に帰るのも恐ろしく、かつては夜が明けるのを恨めしく思っていた心もすっかり忘れ、

「今夜あの女がもし来たら、どうしようか。」

と隣の翁の家に行き、そこで夜を明かした。

 荻原は、「さあどうしたらよいか。」と思い煩い、嘆いた。そこで翁はこう教えた。

「東寺の卿公は、徳行と学問を兼ね備えていて、しかも修験者としても名が高い。急いで行ってお願いをしていらっしゃい。」

 荻原は教えられたとおり、そこに行き、かの卿公と対面をした。卿公は、

「あなたは化け物の気に精気を吸い取られ、魂を惑わせたのです。あと十日ほどそのままだったら、命はなかっただろう。」

 とおっしゃられるのに、荻原はありのままに語った。卿公は守護のお札を書いて与え、万寿寺の門にしっかりと貼り付けた。それから女はふたたび来ることはなかった。

 五十日ばかり後に、ある日荻原は東寺に行き、かの卿公に礼拝して、酒に酔って帰った。さすがに女の面影が恋しくなり、万寿寺の近くに立ち寄って、中を見ていたら、たちまち女は荻原の前に現れ、非常に怨んで、

 「ついこの間、契りを交わした言葉、もう早くも嘘となりました。あなたの情の薄いのが、よくわかりました。はじめはあなたのお心が浅くはない、だからこそ私の身を任せ、日が暮れては行き、朝になれば帰り、ずっといついつまでも終わることがないと思い契ったのですが、卿公とかいう者の情けのない隔てが災いして、あなたの心をほかに向けてしまいました。今幸いにもお会いできたことこそ、とても嬉しいです。どうぞこちらにいらして下さりませ。」

 と言って、荻原の手を取って、門より奥に連れていった。
荻原と同行した下男は肝を消し、恐れて逃げた。下男は、家に帰って人々に告げると、皆驚いて、行ってみれば、荻原は既に女の墓に引き込まれ、白骨とうち重なって死んでいた。

寺の僧たちは大変に不思議だと思い、やがて鳥部山(※)に墓を移した。

 その後、雨が降り、空が曇る夜は、荻原は女と手を組んで、少女に牡丹の灯籠を灯させて出歩く。これに行き会った者は、重い患いになるといって、その辺りに住んでいる人は恐れていた。
荻原の一族は、これを嘆き、一千部の法華経を読み、供養のための写経などを墓に納めて弔えば、またふたたび現れることがなくなったと言う。

※鳥辺山:京都市東山区の清水(きよみず)寺から西大谷に通じるあたりの地名。古く、火葬場があった。

伽婢子 巻之三

三、牡丹灯籠 より



では今週もはりきっていきましょう。

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テーマ : 日記というか、雑記というか…
ジャンル : 日記

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No title

>なかじょーさん
おっとぉ!久々っすね。お元気そうで何より。
言葉の力と言うと稲川淳二もさすがに巧いっすねえ。
あとは音響効果で恐怖の倍プッシュ。
講談はようつべにかなりアップされてますが、暇をみつけてみています。
いやぁ、暑い夏はビールと怪談っすね。
ともあれ、お互い体調管理は盤石で夏を乗り切りましょう。

No title

またまたご無沙汰しております

さて本日のネタは怪談ですか
日本の場合は、怪談ネタというと落語のイメージが拙僧には有ります
例えば 江戸時代に活躍した初代林家正蔵、明治時代に活躍した三遊亭圓朝、桃川如燕などが有名ドコロでしょうか
確かに、映画など音声と映像を交えた怪談もいいですが、言葉の力で恐怖を訴えかける落語というのも、暑い季節にはいいのではないでしょうか

くそあつい日が続きますが、体調にはくれぐれもご留意を
それでは拙僧はこれにて
プロフィール

凸

Author:凸
カテゴリー:おっさん
生息地:都内在住
生業:印刷・ウェブ制作全般
血液型:B

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