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武蔵の件




最近、お気に入りの大河ドラマ黒田勘兵衛を観たあとに、宮本武蔵を観た。

黒田勘兵衛は10年くらい前に吉川英治の黒田如水を読んでいたのだが、
かなり地味な話だったので記憶も曖昧でよく覚えていない。

岡田准一が主演なのだが、滑舌に難はあるもののなかなか好演している。
二枚目すぎる勘兵衛なのだが、表情の作り方など年相応に熟練しているように思う。
さてこれからどう成長していくのかわからないが、アイドルグループ出身にしては骨のある演技する一人ではあるかなと。脇を固めるキャストもさすがにいい役者を揃えているし、竹中直人の秀吉もさすがに巧い。
陣内の宇喜田の眼がまるで人形のように真っ黒でびびった。すげぇ眼だね陣内。
岡田准一は時代劇映えする二枚目でやはり絵になる。
若かりし真田広之にちょっと似ているなと思うが、さてこれからどうなるか。

そして木村拓也演じる宮本武蔵。
うーん…。キャスティングそのものに無理がありすぎるのと、
尺の関係もあるのだろうが、脚本の時間軸がでたらめで萎えた。
清十郎相手に二刀とか…。改悪にもほどがある。

木村拓也は、やはり木村拓也の演技しかできず何をやっても木村拓也でしかなかった。
彼もそこらへんは十分にわかっているとは思うので気の毒だなとは思う。
顔つきもつるっとしていて、武蔵の持つ狂気が全然感じられず、ただの浪人にしか見えない。
時代劇はちと無理ではないかいと、前の武士の一分を観て思ったが、今回は確信に変わった。

三船敏郎、萬屋錦之介の武蔵のイメージを超えずとも、違った武蔵を見せられれば良かったのだろうが、やはり配役に無理がありすぎる。
これは木村の責任ではないだろう。能力のない者を起用した決定権を持つものに責任があり、なんでもかんでもネームバリューでごり押しのスタンスがテレビドラマの衰退に拍車をかけたのではないかと思う次第。

多分、この先も木村拓哉でしかない演技を続けるのだろうが、それはそれで仕方のないことだろう。
それで食えてるのだから、まぁ大したものだ。どこかでまた一皮剥けるのだろうか。
断っておくが木村拓哉自体は嫌いではない。ただ時代劇とかは向いていないというだけ。
あとBGMもひどかった。監督が誰だか知らねーが極めてセンスねーなと思う。侍チャンプルーじゃねーんだからさ。
キムタクはさすがに運動神経はいいようで殺陣とかはそこそこ見栄えがよかったけどね。
あと西田敏行の演技は素晴らしかったぐらいの印象。

というか、もう宮本武蔵をやるのであれば、晩節の武蔵を描けばいいやんと思う。
短編で藤沢周平も晩節の武蔵を描いているが、あっちのほうがよっぽど面白い。
それかバカボンドで丁寧に描かれていた、開墾の話とか。
吉川武蔵は既に数えきれないほど映像化されているのだから、小次郎対決の話はもうお腹いっぱいという感じ。

晩節の武蔵だったら、老齢のいい役者はいっぱいいると思う。
これもまぁ素人だから好き勝手言えるわけであって、関係者で事情に精通してたら言えないわな。
大人の事情が色々あるんだろう。

宮本武蔵って食材に例えるなら、レシピをかえていくら調理してもなかなか美味しくならない困った食材だ。


さて宮本武蔵という人物を評価するに当たって、「剣豪」とするのか「剣聖」とするのか、甚だ迷う。

剣豪列伝によればやはり武蔵は剣豪という枠に列挙されている。
では何故、時代の寵児たりえた天才剣士佐々木小次郎は名が挙がらないのか。
巌流島での決闘は一説に、武蔵50歳 小次郎29歳とあるし、実際もっと歳が離れていたのだという説もある。こうなると真実は想像の域を出ない。

武蔵は剣豪でも間違いはないのだろうが、晩節の人間臭さ、いわんや立身に至っての貪欲さなど、
およそ剣豪というには、圧倒的に生臭いものを感じる。剣豪にはもっとこう人間離れした趣があって然るべきだと考えるのは無粋だろうか。そこがまた魅力の一つではあるだろうが。

武蔵の剣は天才の剣であり、武蔵ただ一人の剣である。
誰も真似できない武蔵だけが有することが許された豪壮な剣術。
故に武蔵の剣は流派として完全に体系づけられていない。

剣聖とすると、やはり既に柳生宗厳が天下に聞こえた一人であったり、その師、上泉信綱の名声が先に来る。
または塚原卜伝や富田勢源、伊東一刀斎、鐘巻自斎等々。
なるほどこれらの先人の名には、不思議な韻が含まれているようで、凡百な自分にはまるで人智を超えた存在であるかのごとくその名が響くが、武蔵の名がその域に達するには時が足りず、彼らに備わっている品格にはいささか乏しく感じられる。
これは穿った固定観念とも言えるし、戦後の吉川武蔵のイメージが定着しているからかもしれないが、上記に列挙した先達よりも親しみ易いのだ。

結局のところ、名声とは人が人へ口伝しながら作り上げられるものである。
通信手段がない時代に情報は口伝のみ。となると、噂に尾ひれがついて神格化するのは必然。
5人斬りでも100人斬りとかになるやもしれぬ。

武蔵にすれば、あと30年ほど早く生まれていればと大いに悔やんだのは間違いないとこだろう。
皮肉にも戦後の庶民人気、ネームバリューは圧倒的に武蔵が上であるのだが。

ともあれ1979年に起きた朴正煕暗殺事件の「銃口の時代」が終わりを告げたように、
武蔵の時代の「剣の時代」も緩やかに幕を閉じていく。武蔵は既にその到来を予見として感じ取っていたに違いない。

一時期色んな書物を読みあさって色んな角度から武蔵を眺めてみた。
歴史的見地からも考察してみたり、勝手な空想を抱いたり。

吉川武蔵の歩んだ道は、「剣」の道である。
そのストイックな生き方が庶民にはたまらなくドラマティックであり、日本剣劇ものの十八番となった。
しかし他者の作品には、違う性質の武蔵も数多く描かれている。
武蔵は実はかなり豪奢な色狂いであったとかの説もある。

結局、武蔵はどのような人物だったのか。
それは既に憶測でしかないが、司馬遼太郎は真説宮本武蔵で武蔵に会ったという老爺に話を聞いている。
これは司馬の創作を入れないノンフィクションで語られていて、武蔵という人間にかなり肉薄しているように思われて興味深かった。

が、ここで思うのだが、実際に生きている人間のことでも我々はどれほどわかっているのだろうか。
結局、互いに見せる顔は、人が持つある一部の側面でしかなく、ほとんど主観による決めつけから始まる。
隣人、知人、同僚、家族、兄弟、親戚、恋人、妻や息子や娘…。
自分に最も近しい者のことでさえ、わかっているのかと言われれば、答えはNOだ。

極論を言えば、本当のところは本人しかわからない。わかるはずもない。
武蔵はこういう男であった〜と言われても、それは会ったその人の印象でしかないし、その時の武蔵の有り様もまたその場その場において違ったであろう。どれも断定の憶測でしかない。

人が人を伝聞によって創りあげる。
だからドラマができる。

しかして、まったくの他人であり、既にこの世にない人を勝手な想像で解釈して決めつけるのも、故人にとってはかなり失礼な話ではあるかもしれない。

草葉の影から「えー?俺そんなこと言ってねぇしやってねぇよ」とか思ってるかもしれないね。

ま、それをいっちゃあ話にならないし鍋も蓋もない。
しかもれっきとした武蔵の研究機関もあるのだから、別にケチをつけるわけでもなく。
当然、人が知り得ない事実もまだたくさんあるのだろう。
我ら素人は想像して盛るから楽しいのである。

というわけで野暮はこの辺で終わらせよう。


武蔵と藤井。これを書いてみたくなった。

何故か心地よい響きではないか。
時代は違えど、傑出した英傑が時を超えて対峙する場面を思い浮かべただけでワクワクしてくる。

ほんの少しだけ書いてみることにしたが、例によって尻切れトンボである。
そこはご勘弁願いつつ始めてみよう。


1624年(寛永元年)。

江戸幕府は既に徳川三代将軍家光の代になっている。
既に大きな戦もなく世の見かけは平定そのものであった。


この年、宮本武蔵41歳。
伊織という13歳の童を養子としている。

その2年後、播州明石藩主・小笠原忠真の元へ近習として出仕して、二十歳で家老になるという驚くべき出世をみる。
後に戦功により加増され、都合4000石の筆頭家老となった。
召し抱えの条件として3千石以上に拘ったとされる武蔵の悲願を、はからずも養子の伊織が果たしたとも言える。
生誕の地と言われる播磨で、養子の立身を見ていた武蔵の胸中はどのようなものだったのか。
それは誰にもわからない。


この頃、尾張藩に逗留したとされ、円明流を指導したとある。後の神明武蔵政名流であり鳥取藩で創流したと言われるものだ。


40代になった武蔵はいよいよ自己研鑽による剣の完成型を見ていたのかもしれない。
尾張に来た武蔵は、藩主・徳川義直の前で御前試合をすることになり、気合だけで相手を圧倒したと伝えられている。
この頃の円熟味を増した錬磨の剣は、斬るというよりも断つといった究極の極意に近づいていたと思わされる。

尾張の笠寺天満宮東光院の寺書によれば寛永7年(1630)から3年間、宮本武蔵が逗留したとある。
1630年といえば、武蔵47歳である。

縁あって東光院に逗留するのだが、実は笠寺観音で意趣返しにあって逗留を余儀無くされていた。


「お加減はいかがですかな」

具合を見に来た法主が聞くと武蔵は起き上がって、正座をして礼を述べた。

「おかげさまで傷も浅く。武蔵もまだまだ未熟。あのような者達の斬撃をかわしきれぬとは、油断と慢心が招いた結果でござりましょう」

「ほっほっほっ…。武蔵殿のような天下に聞こえた達人でも、やはり人は人。されば、まだまだ高みに至る路は途切れておりませんのう。楽しいことではありませぬか」

「拙者などが達人などと呼ばれるのは身に過ぎたもの。この身もいまだにままならず、かような流転を繰り返しております故…。武蔵これを肝に命じ一層のこと精進してまいりまする」

「まぁそう堅苦しいことは言わずに。その様子では、あと三日もすれば傷も塞がりますじゃろう。それまでどうぞごゆるりと」

「お心遣いかたじけなく。されば今しばらく甘えさせて頂きます」


奥に控えていた小僧が、武蔵に薬湯入りの椀を渡す。
武蔵が一口飲んで苦悶の表情を浮かべると、法主がくすりと笑った。

「ほっほっほっ。良薬口に苦しと言いますよってな。天下の剣も苦いものには弱いと見えますのう」

「いや…。まったく…これは苦いもので」

苦笑いをする武蔵の顔は、いまだ生気を保った青年そのものであった。


それから一週間ほど経った午後。

「たのもうー」


寺内の客殿付近で何やら大声がする。

庭掃きをしていた小僧が、ぱたぱたと駆けつけると一人の侍が立っていた。
侍の出で立ちは、如何にも高そうな袖なし羽織と袴、大小の二本差しを携えて、どこかの名のある武家と思われる。

小僧が一礼をしながら、何用ですか問うと侍はすらすらと身分を名乗り始めた。

「拙者、伊豆国賀茂郡の江川太郎左衛門が陪臣、藤井駿河守のりあきと申すもの。ここにご滞在なさっている作州宮本武蔵殿に何卒御拝謁賜りたく」

はきはきとした物言いと、眼力に圧倒された小僧は困惑した。
法主からくれぐれも武蔵の逗留は口止めされている。

さりとて、この侍にはおりませんと居留守を使っても大喝されそうで怖い。
武蔵とは異質の威容を感じていた。

「これ、お坊。かかしのように突っ立っておらんで、はよう武蔵殿に取り次いでくれい」

小僧はやっと口を開いて、たどたどしく受け答えをした。

「あのう…ここには武蔵様と言う方はおりませんが…」

「なにっ!?」

藤井と名乗る侍は気色が変わった。
その声色に小僧がひるむと、すぐに怒気を抑えてにこやかに笑う。

「そうかお坊。ではこうしよう。ご滞在中の某殿にこの文を渡してくれまいか。無論、武蔵殿にではなく、某殿にである。渡してくれるだけでいい。それでわからぬなら某は大人しく帰ろう」

「はぁ…渡すだけですね」

「それで結構」


小僧はおどおどしながら客殿の中へ入っていった。

藤井駿河守、このとき37歳。

いまだ童貞であった。

【終】



結局このオチしかなかったよ藤井さんw


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テーマ : 日記というか、雑記というか…
ジャンル : 日記

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No title

主婦(爆

No title

>かずは
SPってなんじゃらほい?
しかし今の若手で時代劇をまともにやれる俳優が少ないのは深刻だ
岡田は時代劇面しているのでちっと期待している

むさし

ちょびっとだけみた。

佐々木小次郎がエロ男爵でわろた。

中谷美紀はほんとーに花魁が似合いすぎる。

にぃに、SPを観なさい。
岡田くんもっとがんばってるから!

No title

>いのきさん
痛すぎるww

>藤井さん
めんどくせーw

No title

シッーw>いのきさん

凸さん帰参者キャンペーンやるお!

信on公式Twitterで藤井さんが主婦だと自称していましたw

No title

>藤井さん
にょろ〜〜ん!( ´,_ゝ`)

No title

あと三歳で魔法使い!をw
でも齢、去年の12月で38に;w;
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Author:凸
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