
表通りに灯る赤提灯ひとつ。
カウンターだけで5〜6人も入れば満席の狭い焼鳥屋。
そこで、蓬髪白髪の侍がいる。
顔にはほどなく皺が刻まれている。
俺だ。カウンター上に焼鳥の串が3本のっけてある皿があり、コップ酒がある。
客は3人いる。
奥には俺。ひとつ席を空けて、常連のマソという若いカブキ者。
入口手前には、見たことの無い若い女。
俺も歳をとった。
30ぐらいで死ぬと思ったが、しぶとくまだ生きている。
徳川政権は既に家光公の時代だ。
俺は酒をぐっと飲みながら、焼鳥を一本皿から取った。
誰もしゃべるものはいない。
カウンターの中の店主は黙々と焼物をしている。
ちらと横を見ると、マソはカウンターに顔を落として細い声ですすり泣いていた。
大方、また町娘に振られたのだろう。
マソは前につきあっていた娘に逃げられたばかりだ。
ナニをする時に、女子高生のコスをさせて「これからSEXによる体罰を与える」と冗談をかましたら、
即座に通報されたそうな。
昨今は洒落が通じねえ娘が多くなって、余裕がなくなってきたんだろう。可哀想に。
俺なんざもうこの歳では、水涸れどころか壊れた水道の蛇口にも用を足さないことが多い。
若いってえのは、傷つくことが思いでで後になってみればそれすらも懐かしく思えるものだ。
何もないのが一番いかん。
「おい、マスターよ。冷奴ひとつ」
「へい」
店主は愛想笑いするでもなく表情を変えずひとつ返事をする。
いつまでたっても愛想のねえ野郎だ。
ここに通ってもう半年だと言うに。
こいつは、ここを始める前は今川所属の大層な重鎮だったと誰かに聞いた。
しかし自ら素性を騙ることはしない。俺より10ほど下だが、相応に歳は取っている。
それでもまだ若い。短髪に恰幅のよい体型。
絶倫でっせぇ!と言わんばかりの生気を身に纏っている。うらやましい限りだ。
店主の名前は藤井駿河守と言った。
3年前に出奔してこの店を開業したらしい。
冷奴が出てきた。裏手にある藤原豆腐店の代物だ。
この店主は愛想は悪いが、料理は美味いし魚の目利きも確かである。
あの豆腐屋は、甲府でも1、2を争う名店だった。しかも安い。
無表情の顔で何もいわずに料理を出すが、置き方も粗雑ではなく丁寧なところも気に入っている。
ネギと鰹節のふりかかった奴に軽く醤油をかけて角を崩してつまむ。
やはり美味い。落ち鮎を食いたかったが、今日は仕入れてないと言う。
しかたなく、焼鳥を肴にしているわけだ。
すすり泣く声が途絶えた。
マソは泣くことに飽いたようで、俺をみると話しかけてきた。
「凸のじっさま。最近どうだい」
今まで泣きべそをかいて醜態を晒していたのを忘れたような軽口だ。
立ち直りの早さがこの男をこの世に留めている要因かもしれない。
「あ?別になんのこともねえよ…。天下泰平 すべて世は事もなしだ」
「だろうなぁ。こんな葦簀(よしず)で囲った店で酒を呑んでるようじゃな」
カチン(死語)と来た。どうも歳をとると若い衆の物言いが癇に障る。
「こりゃ小僧!俺を見下したような台詞は吐かせん。それに、そのしょぼい店で泣きべそかいてつっぷしてるおめぇに言われたくねぇもんだぜ」
「ひょひょひょ。怒るなよ爺さん。言葉のあやさ。それよりよ…」
マソは悪びれもせず隣に寄ってきて、小声で囁いた。
「あの娘って誰だい?ここいらじゃみねえ顔だ」
出口側のカウンターに座って上品に猪口を傾けている女のことだ。
「知らんよ。一見だしな」
「ふぅん…。ここには似つかわしくねえタマだな。まさに刈上げのダルって感じか」
「ダルビッシュは刈上げじゃねえよ。それに掃溜めの鶴ってんだ馬鹿め」
「とにかくいい女だよな。ちっと粉かけてみっかね」
「お前にゃ無理だ魚住」
娘をよく見ると、確かに器量の良さではこんな店には不釣り合いだ。
どこかの大層な座敷で酒を注いでるほうが似合うだろう。
「ようよう、マスター。あの娘はここいらの者かね?」
店主の藤井はマソの問いに、首を振って答えず。知らないといった振りだ。
知っていたとしても、他人のことをべらべらとしゃべるとは思えないが。
「マスター、すみません。おかわりを」
娘が空の徳利をつまんで左右に揺らしながらおかわりを注文した。
何とも鈴をころがすような声だ。
藤井は、やはり「へい」とだけ短く返事をして燗をつけはじめる。
「姐さん姐さん。あんたここいらじゃ見ない顔だが、甲府は初めてかい」
マソが声をかけた。このような声かけが如何にも慣れている。
実際ここでひっけた娘も数名いた。
娘は、マソを見るとにっこり笑って答えた。
「あい。わたしは紀伊からまいりました」
「紀伊?そりゃまたえらい遠方から来たもんだ。なにしに来なすった」
「ええ…。ちょっと探している人がいて…」
「なんでぇなんでぇ。想い人かよ、お安くねぇなぁ」
からかう口調ですっかりマソのペースだ。
ある娘の証言によると、気づいたらベッドの横にマソがいたと言う。
マソは会話のテンポで口説く流れをつくる天才ではある。
これで特殊性癖がなければ、さぞかしもてるだろうに…。
「いえいえ。そんな洒落たものではありません。探しているのは父の仇です」
ガシャーン!!娘がそういった瞬間、カウンター内からガラスの砕ける音がした。
藤井がグラスを落としたのである。
「あいすみません…」
そう言って藤井は片付けるためカウンターの下に身を埋めた。
「へぇ、父親の仇をねぇ…。そりゃまた豪儀な…」
マソが一瞬の静寂に耐えきれず、ぼやくようにつぶやいた。
娘の言葉で明らかに藤井の様子が変わった。
俺はそこそこ生きてきて、人も多く見てきた。
藤井の動きがおかしい。まるでぎこちないマイケル・ジャクソンのようになっている。
まさか…この娘は藤井を討ちに…?
若き日の禍根か。
こんな若くて器量のいい娘がこんな店にひとりで入ってくること自体おかしいとは思った。
人はそれぞれ何らかの事情を抱えているものだ。
藤井はここに来る以前は、相当やんちゃをしていたようだ。
斬った人の数も相当数だろう。俺にはわかる。
あのふてぇ眉毛はそれを物語っていた。
戦国の世はもう終わった。しかし、家族を殺された者にはまだ終わっちゃいないのだろう。
かくいう俺も相当数の人間を殺してきた。
死ぬ奴は弱いから死ぬ。そう思って殺しまくった。
猪突で徒党を壊滅させたことも何度かある。
恨まれただろう。やられたほうは悔しかっただろうな。
逆にやられたこともあったが。
怨みなら俺も藤井に負けず劣らず、大勢の人から買っている。
だが、しかし今はもう…。
そこまで考えをめぐらしたが、さすがにもう頭が回らない。
歳をとると色んなことをかたっぱしから忘れていくのである。
それに人のことなどどうでもいい。
父だろうが乳だろうが娘は巨乳ではないし、興味もなかった。
俺は巨乳王になりたかったのだ。夢破れて今じゃこの有様だが。
とりあえず、酒がなくなった。酒を頼もう。
マソは相変わらず根堀葉掘りと娘に問いかけている。
藤井は、カウンターの真ん中付近で直立しながら、きょどっている。
顔は正面を向きながら目だけ左右に動かしているさまは、Mr.ビーンのようで吹き出しそうになった。
「で、仇の名前はなんてぇんだい?」
マソはいつのまにか、娘の横に座って肩ひじをつきながら酒を注いでやっている。
とっぽい奴だ、まったく。
「名前は……わかりません。ただ、その人はまれに見る巨乳愛好家としか…」
「ええっ!?」
マソと藤井が同時に声をあげた。
酒を頼もうとした瞬間、ふたりの突き刺さるような視線が俺を射抜く。
娘は俺の顔を見て、くわっと目を見開いた。
娘の顔が吉田さおりの顔に変化した。
「見つけたよ!父さんの仇!!」
「あ?」
俺はわけもわからず生返事をした。
娘の暗い双眸から放たれた一筋の光線が俺の体を貫く。

「それで…?」
「それでも何も終わりだよ。これで終わり」
「へ?」
目の前には、妹分のかずはがいる。
きょとんとしてわけがわからないといった表情だ。
「オチがないやーん!その話。藤井さんやマソタンが無駄ぁ」
甲府の茶屋で団子をほうばりながら、かずははぼやく。
かずはのぼやきをよそに俺はつぶやく。
「ふっ、確かにな。だが藤井さんならあるいは…」
俺はこの荒唐無稽ズル向けなストーリーに秘められし暗喩を、藤井さんが気がついてくれることを望む。
隠されたアナグラム。そして言葉のはしはしに鏤められたキーワード。
果たして何人がこの仕掛けられたギミックに気づくのか。
それらを解明できた時に、この物語はもうひとつの真実を現す。
さぁ、考えろ!豚共。
もちろん
そんなわけはないのであった。
ちゃらり〜鼻から牛乳〜。
おちまい。
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