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さや 【参】

「やっ!?さや殿がいなくなった?」

地獄突は素っ頓狂な声を張り上げた。

表向きには召し抱えという形で書状を携えて、だるま屋に赴いた突だったが、夫婦から話を聞かされると腰を抜かさんばかりに飛び上がった。

「へぇ…。十日ほど前に急に暇をもらいたいと言い出しまして」

申し訳無さそうに、主人が突に頭を下げる。

「むむむ…。それで行き先は?どこか宛はあるのか」

「なんでも肥後のほうに母方の身寄りがあるからと…。まぁそれだけ残して」

「肥後とはまた…。西の果てじゃぁないか…。まいったな」

「あいすみませんことで…」

夫婦そろって頭をさげるが、どうもおかしい。
妙な明るさが声色に見てとれる。

大三元とはあれ以来会ってはいないが、聞けば寺子屋を閉まって旅に出たと言う。

ははーん。

三元さんめ、やりやがったなぁ。

突はにやりと笑いながら、ことの次第を理解した。

駆け落ちとは豪奢な真似を。
しかもまだ幼き少女と、あの堅物が…。

突にしてもうら若き乙女を、任とは言え、乱破(らっぱ)素破(すっぱ)にするのは気が進まなかった。
こうなったら、こうなったでまぁしょうがない。
正直なところ少し安堵もある。

しかし…このままでは済むまいなぁ。
せめて、かようなひとときを安らかにと祈るしかない。

突は旅の空に舞う二人の姿を思いながら、気が重い報告に臓腑が痛むのを感じていた。



【越後】


上杉謙信はこの人にめずらしく憤っていた。

「足長めが!」

これは武田信玄を指して言う。
これは信玄につけられた渾名である。
甲斐ほどの偏頗な山峡の国にあって、実にまめな早足早業を見せるところから起こったと言われる。


三年前の永禄元年。
武田と上杉は、和議が成って親睦の約定を取り結んだ。

しかし、表向きは「今後は善隣として」と外交を成しているが、干戈(かんか)交えていた頃より、始末の悪い結果となっていた。

去年のこと、富山城の神保一族が国境付近を悪戯に乱すので平定したところ、残党に信玄の息がかかった僧兵や、信州訛のものがいたり、常に往来した機密文書やらが無数に発見された。

和議和平どころか、ますます信玄の蛇影が見え隠れする。
信玄の謀略的性格が顕現してきているのだった。

そこにきて、割ヶ嶽城への霹靂のごとき武田の襲撃に、さしもの静なる謙信も堪忍袋の尾が切れかかっていた。

若い頃の謙信はよく泣いた。多感な質で感じやすく激しやすい。
禅道に入ってからは、それらの多情の面はなりをひそめて、心鍛により静かなる風格が備わってきている。

だが、この時ばかりは泣いた。
身をよじって畳を転がりながらわめきちらした。

「うわぁあぁ!信玄!信玄!信玄!信玄〜〜!!!!!」

泣きわめきながら、罵る様はまるで年端のゆかない子どもだった。
割ヶ嶽城で、城中にいた者は全て討ち死にしたという。武田側の死者もかなりものだという報告を受けていたが、死んでいった家臣を思うと腸がちぎれるぐらい悔しかった。

「ううぅう…。あんまりだぁ〜〜…」

謙信は三十三歳で、もはや天下の名将とも誉れを受けていたが、本来の多情な性質は根本から消え去る事は無い。
信玄は謙信の一回り近く歳上であり、かの好敵手として端倪するもやはりどこか軽視している風がある。

和議の裏をかき、まだ若く実直な謙信の泣きべそを思い浮かべて楽しんでいるに違いなかった。
戦乱の時代に置いて約定など、ありていの建前に過ぎないことを謙信は知らなかったのである。


これは、敢然と信玄が仕掛けた狡猾な罠である。
謙信をまだまだ弱輩と高らかに笑って攻め入ったことだろう。

しかも、割ヶ嶽城は野尻湖の東南に位置し、越後信州の国境にあたる。
南、西、北とここを分岐とする交通の要衝でもあり、武田にとっても最大価値のある拠点である。
ここを抑えられると、全ての方位への進出を封じられたも同じであった。

戦を受けて立とうにもあまりにも分が悪い。
謙信は、憤りながらも使者を出し、今一度、和睦の要約を取りつけて割ヶ嶽城の返還を求める評議を決定した。

使者には、斉藤下野という者を使いに送り出した。

しかし、これがまた片目に眼帯を巻き、片足はビッコを引く足萎えでとても使者には不向きの風体である。
内密に素早く。謙信は斉藤下野にじきじきに申し付けていた。
それだけ、斉藤下野の折衝の手腕を信頼していた。容姿によらず、能力による。
清廉な謙信らしい抜擢である。


しかし、謙信とて事を軽く考えてはおらず、伴人を一人つけた。
戸隠忍軍の仁科大助を裔にする子孫である。

名はさくや。
女であるが、歩き巫女のような遍歴の諜報はせずに、世に聞こえた「飛び加藤」の元でひたすらに術の研鑽を重ねた手練である。

女の身でありながら、卓越した体技に目をつけた飛び加藤は、さくやに徹底的に術を仕込んだ。
さくやの親は、やはり戸隠の裔だったが、その方面に才能はなく、商人としての才覚を開いて堺に居を構えている。世継ぎがいない飛び加藤は、幼少の頃から男勝りで勝ち気だったさくやに、戸隠の未来を見いだして引き取って育てたのである。

さくやは、飛び加藤の片腕となるまでに腕をあげた。
歳の頃ならかぞえで17歳であった。

さくやが伴人となったのは、いわゆる「土産」としてである。
信玄はその風貌の如く絶倫な精力家である。加えて女に対しては甘いと聞く。
今回の使いは、和の密使であり訴状ではない。
さくやは献上品として謙信のもとに仕えるように任を受けた。
もちろん、命がけである。信玄が不要と一言言えば、そこで終わりである。

だが、謙信はさくやの容姿を一目見るならば、男であればとても刃を放つには躊躇われると確信している。
越後の雪のように白く、なめらかな肌。切れ長の目に長い睫毛にかぶり何とも男好きのする顔。
加えて見事な曲線を描いた姿態は男を狂わすには十分である。
もちろん、さくやはその方面の訓練は受けていたし、閨での暗殺術も心得ていた。

獅子身中の虫となり得る乱波を許容する度量が信玄にあるかどうか。
その結果次第で謙信は先のことを計ろうとしていた。

もし受入れるなら…。

戦をする気なら無言で仕掛けている。城中では血気盛んに武門の恥とばかりに信濃入りを切望する者も多かった。

が、謙信はこの時まであくまでも至誠を通した。
また、信玄の徹底的な知略のいやらしさも知っている。
あの百錬の功を経た非違の僧将の不気味な頭脳は、決して易くはみれない。
故にさくやという賽を斉藤下野とともに送ったのである。

さくやは男装を施し、斉藤下野とともに信濃を馬で南下している。
他の一行も並走しながら、一団は魔人神 武田信玄の居城へと向かっていた。

もちろん、命を賭けた任である。口上ひとつでただちに斬りさげられ骸になりかねないものだ。
しかし、斉藤はもちろん、さくやにも恐怖心はなかった。
死ぬならそれが運命であり、信じて疑わない盤石な信念が出来上がっている。

まだ雪の残る山道を、疾風の影が切り裂くように駆けていった。


【続く】





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