スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

閑話休題

葬儀よもやま話の続きを途中まで書いたのだが、あまりに面白い展開すぎてネタだろうと言われかねないので下書きに止めた。
書きたいことはいろいろあれど、生者は生きてかにゃならんし腐るほどの葬儀後の処理もあるので、思い出の余韻に浸る暇もない。その話はまた後に。

タイトル回収するならば、霊園に手続きに兄貴の車で行った折、両脇に植えられた富士桜はまだ散っておらず、まさに桜の回廊といった感じで、車の窓に吹雪のごとく桜の花びらが舞い散ってきた。人も居なくて日本でもこれだけの桜吹雪が見れるのは、この時期のここだけだろうなと思った。お袋に見せてやりたかったなと兄貴と語る。

さて、モーリス、キース・エマーソン、ボウイ、グレン・フライ、ナタリー・コール
そして本日はプリンスの訃報

我らの青春を彩った大物たちが次々と…

プリンスは確か初めて見た海外アーティストのライブだった。しかも25年前の初来日にドームに乃木坂のデザイン事務所に勤めてすぐだった気がする。よく行ってた六本木交差点前のスタジオにプリンスが来てたと聞く。当時ワーナー所属で、奇しくも事務所は青山ツインタワーのワーナーの仕事をやっていたからなぁ。その関係で事務所でチケットを買ったかどうかは定かではないが、金は一切出してないはず。だって当時の安月給でチケットなんぞ買えるわけもない。

そして5年後くらいかな。当時、広告代理店に勤めていた高校時代の友人がプリンスいかねえ?とチケットを持ってきた。誰も行く奴がいなくてチケットが余ってるからロハで観に行こうぜと言われ、またドームに行く。今度は結構ガラガラだったな。リンス人気はもう盛り上がってはなかった頃だし。

しかし今見てもバットダンスはクォリテイすげぇし、ギターソロもジミヘンに傾倒しているのが顕著だけど正確でうまいし、パフォーマーとしても見事。大ファンではないが、アルバムも2〜3枚持っていた。やっぱパープル・レインが傑作アルバム。

本当に2016年は忘れられない年になったなぁ。
大事なもんや好きなもんが次々と消えて行く。

せいぜい悔いなく人生を楽しまにゃ損だわな。

もうすぐGWだ。良き週末を。

スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

桜吹雪1

若い頃世話になったゴールデン街火災、それから生誕地の隣である熊本震災。
大きな事件は枚挙に暇もなくだが、こちらもこちらで4/11にお袋が逝去。
ここからは長いので葬儀に興味がない方は離脱した方が良いと思われる。
またタイトルの回収までのくだりまで奇跡的に読みおえることは、今はまだ考えたくない考えられない人にとっては、見たくない現実でしかない。

だが、その時は確実に訪れるわけで。
その時が来るまでに一度でも親孝行したと言える事実を作っておくのは大切である。
それは自分のためにだ。まさに孝行したい時には何とやら。
昨今では、金がなくて葬式どころかそのまま放置で何にもせずに数年放っておいてニュースになるといったこともあるが、親もそんな子どもに育てた自分を恨めしく思うことだろう。

もう既に親が他界している人は、そんなん子どもとして当たり前のことやんけアホかと笑ってもらっても構わない。しかし心構えができていないといざという時にどうすればいいのかわからないのは当然で、普通に元気ならまだしばらく大丈夫だろうと思ってしまう。その時は突然来るのだ。

思えば、今年の元旦からフラグは立っていたのだが、決定的なトリガーは沖縄旅行だろう。
それも含めて書き綴っていくには、あまりにも長い話になる。忘れないためにもメモ的な感覚で記していくことにする。

金曜日の夜。
度重なる長兄からのお袋の容体変化の電話連絡で、うんざりしつつも電話を取ると母が危篤で、医師から延命措置を行うかどうかを縁者で即決してくれとのこと。
実際は、兄貴からの電話だったが、弟の嫁にすぐ代わって説明を受け、お袋の末妹の叔母に電話が変わり、「どうするの」と聞かれる。
すでに意識がないというので延命しなければすぐにでということだったが、延命しても1週間〜で回復する見込みはないと担当医師に言われたらしい。

延命するかどうか。

実子である俺に委ねると言う、先々週の見舞いで、もうだめだなとわかってはいたが一瞬のためらいがさすがに出るが、それも数秒で決断する。と言っても、生死を左右する一言を言う重さがこれほどとは思わなかった。
普段、他人のことで、延命措置とかいらね、尊厳死を認めろと大言壮語していたが、いざ自分の身になってみると何ともご大層な意見はどこかに吹っ飛び、揺れ動くものだった。


「しない」

お袋は「人に迷惑をかけずに死にたい」と口癖のように言っていたし、親父のように長く患って苦しむのは嫌だと言っていた。家に帰りたい、部屋を色々片付けてからと見舞いに来た人たちに繰り返し言っていた。人に迷惑をかけずに死ぬなんざ無人島にでもいなけりゃ無理な話だが、それでも最小限にとどめることはしたかったろう。


1時間後、また長兄から電話。

「今、息を引き取ったわ」

最後を看取ってくれたのは、長男夫婦だった。

「そっか」

いやに事務的に答えて、悲しみもない。
逆に年齢を考えたら天命全うの大往生に近い。
まさにお疲れ様である。

3/25に心筋梗塞でぶっ倒れて、それから約3週間ほどで桜の散り際に逝ったお袋。
心残りがないわけじゃないだろうが、人として立派に天寿を全うしたのだから立派なもんである。

長兄がなるべく早く帰ってきて、俺も含めて兄弟で色々これからのことと、葬儀の打ち合わせをしたいと言う。

「なる早…。明日どうしても片付けたい仕事があって夕方になりそうだが」

そう言うと、すでに遺体は葬儀場の運んでいるといい、各方面の連絡や手続きの打ち合わせがあるから午後1ぐらいにしろと言う。

「お前な、それ結局なる早じゃなくて速攻で来いってこっちゃねえかよ」

「当たり前だ馬鹿。そうだよ、すぐ来なけりゃ話が進まねーんだよ。お前が喪主なんだから」


だったら最初からなる早とか言わずにそう言えよとなじりながら午後1で帰省することにする。

12日に午前中だけ出社して帰省を予定。
しかし朝の出社する電車の中で、なんか息苦しく大汗をかいてそのまま三田駅にて昏倒。電車の中でぶっ倒れたのは生まれて初めてであり、酒以外で意識を失ったのも10代の交通事故以で、これはマジでちとヤバイなと恐怖した。
多分、1分にも満たない時間だった気がするが、気がついたらなんか天井が見えて男性が横にしゃがんでいる。
なんとか立ち上がって、車椅子で事務室の長椅子にて横になる。メールで会社に連絡する。
痛風で足が痛いのでまともに歩けない上の体調不良。色々最悪この上ないし右目もなんか霞んでいる。これは俺も長くはないなと不思議と安堵にも似た気持ちになる。まぁ、十分生きたと我ながら思える歳に近づいた。

会社に出て心配されながらも仔細を伝えて新幹線で帰省。
既に遺体は昨晩に病院から葬儀場へ安置されている。親父の葬儀時にも利用したところだ。
お袋を見ると、まるで寝ているようで安らかな顔をしていた。

それからが、怒涛のように決めることやることのオンパレードだった。まずは葬式を家族葬でやるか友人葬でやるか。
生前の友人の多かった母だし、やはり友人葬でやろうと決断する。

長男、と言っても親父の初めの結婚相手である戸籍上の義理兄(親父が亡くなった時点で母の戸籍からは外れて、血縁上の関係は法律的には無くなるのだ)が弟に「お前が仕切れないようだったら家族葬がいい」と言い含めたそうだが、弟は是非、友人葬でやってくれとお袋の友人に言われたそうだ。生前、お袋はとにかく親父と比べ物にならんほど親交が広く、友人葬でまともにやったら弔問客など300人をまともに超える。これは決して大げさではなく、これでも控えめな数字。3月末にも、名古屋、熱海と出かける予定があったという。

今回は実子で母方の長男にあたる実子の俺が喪主。もう一人の次男(戸籍上は長男と血縁関係あり)は、いつもの通りで顔を出したが特に助言や手伝うそぶりも見せず。だがこれが奴の平常運転である。
しかし、覚悟はしていたが、悲しみよりも積算してくる当面の課題に対して陰鬱になってくる。
そして、さらに大きな問題があるのだが、それは長文の下の下に記す。

長男は親父の時の喪主で、全部一人で仕切ってやっていた。困った時の相談役だし頼もしい。一歩引いてアドバイスをするだけと言うが、やはり長年親父床に伏せってきてからも経済的にも家を支えてきた長男である。最近、退役しているが、自衛官でそれなりの立場であった兄は非常にロジカリストで、こうい儀典的なものには慣れ過ぎるほど慣れているし挨拶も例文を読みながら棒読みなんざしなかった。人が大勢動くというのはそれだけ金と時間の目算ができないととんでも無いことになると、兄はよく知っている。仕事以上に縁者関係の儀典は気をつかわなければならんのだ。

普通なら月曜日に亡くなって、準備も含めて土日を絡めてやりたいとこだが、こういうのは時間をかけてもしょうがない。葬儀場の進行プランナーも根気よく説明してくれるが、まぁ即決しなきゃならんことが多すぎるし、結局は喪主の判断に委ねるしか無いと兄は言う。
通夜の進行、住職への依頼、それに伴う挨拶、供養の取り決め、通夜ぶるまいの食事の人数、果ては告別式から火葬場、食事の準備の助六寿司等の人数目算勘定、精進落しの料理の手配etc
これはネットでも一連のフローが細かく書いてあり、地方によって差異はあるものの、基本的に葬儀場のマネージャーが仕切ってくれるので問題ないが、まぁ大変は大変だ。勘定を間違えるとえらい散財となってしまう場合もある。
失敗したのが、日取りが決定した時点で、すぐに会社に連絡するのが常識だがこれを全く失念していて後で後悔する羽目になる。結構パニクっていたのだなと今にして思えば慚愧の念がふつふつと。
そもそも、繁忙期の沖縄旅行で負担をかけて、今度は葬儀で弔辞休暇なのだからさすがにこれは申し訳ない。まぁ仕事がかなり暇だったからまだ救われたが。

今まで極楽とんぼで兄弟に甘えて自由気ままにやってきたが、最後ぐらいは長男として立派に葬式を出してやろうと決める。お袋は派手好きではなかったが、他人に対しては本当に気をくばっていたし、実家がある時もひっきりなしに友人が訪れてあれやこれやと食材やら生活用品を持ってきていたのだ。

葬儀は死者のため非ず。

これから喪主として葬儀を行う人に一つアドバイスだが、葬式は生者のためにあるものだと覚えておいてほしい。
親類縁者、近隣、組内などの付き合いが全くないならいざ知らず、長年その土地に居を構えて来た者であるなら、親の葬儀は規模はともかくやはり子の最後のけじめとしての義務であろう。葬式は生前に世話になった方々への挨拶であり、これからもその土地に住まう者のスタンスが問われるものだからだ。

葬儀場であらかたの打ち合わせを済ませて、あとは受付をやって頂くの隣保班への連絡を弟がしたのだが、急なこともかぶさり、半年しかいなかったアパートの近隣の人たちとはほとんど付き合いがなく顔も知らないと言われ、弟は電話でかなりのお叱りを受けた。いきなり言われてもそんな人員確保できるかと言われる。それはその通りだし、こちらの勝手な都合でお願いしてるわけだから言い訳もできず。
とにかく、生前のアパートへ喪主同席で打ち合わせがしたいと言われて長兄とともに向かう。
軽く考えていたのだが、狭いアパートに十人以上の男女(とってもお爺さんお婆さんが多いが)が集まる。すでに1時間ほど前に一度集まっていただいたそうだが、アパートには誰もいず一旦解散したそうだ。連絡の行き違いやら勘違いでさらに心象悪く。これは急遽、友人葬に切り替えて連絡が、後手後手に回ってしまった結果である。
喪主から一言と言われ、とにかくたどたどしいが慇懃に挨拶とお願いをする。体躯よく声の大きい人がその場を仕切り、これだあれだと威勢良く物事を決めていき、最後に、地域のしきたりや常識について、普通なら〜と軽いお説教を食らうが、一切の言い訳せずに平身低頭で頭を下げる。
通夜は13日の18時より、告別式が14日の9時から。逝去から1日しか空けないで強行。墓はないので納骨は49日の法要で親父と同様に霊園の遺骨堂に永代供養することに。

平日にもかかわらず、組内とはいえ顔を知らない母の葬儀の手伝いをしてもらうのだから、当たり前だが、素晴らしいのは陰でコソコソと悪口文句も言えるはずだが、厳しく叱りつつもしっかり体制を作って協力してくれる姿に感動した。このような近隣の付き合いなんざと軽視していた己が恥ずかしい。

家族葬の場合なら、隣保班に頼まずとも仕切れるだろうが、何しろ人付きあいの広かった母のことだから、弔問客の対応だけでこちらがキャパオーバーしてしまうのは目に見えている。

隣保班との打ち合わせが終わり、生前の母の友人に連絡。このおばさんたちの連絡網は凄まじいものがある。あっという間に連絡が行きわたり、多数の問い合わせが弟に行く。俺は長男とはいえ、東京にいて実質、最近までお袋の面倒を見ていたのは弟と長兄だ。次兄は、親父が死んで籍が外れた時点で、面倒は見ない関係ないと言ったそうだが、長兄は「あの馬鹿は兄弟の中で一番面倒をかけてたのはあの野郎のくせに何たわけたこと抜かしてやがる」と憤慨していた。まぁこれも毎回毎度のことであるが。
確かに長兄の言う通り、あいつのおかげで、近所の葬式に出席中にヤクザ者は乱入してくるし、ヨタもん崩れの友人からは車を貸して事故ったから金を出せとか、真夜中に数台のバイクが止まって爆音を轟かせたり、あまつさえ、地回りの組の親分が訪ねてきてあいつはうちで面倒見切れないとか、まぁ色々お袋が頭を悩ませていたのは間違いない。俺も似たようなもんだったしあまり偉そうなことは言えないが、それでも次兄のエピソードを書いていけば、優に何冊かのコンテンツが出来上がるくらい。

こんなもんだから、長兄はいつからか、次兄のことを名前で呼ばずほとんど「あの馬鹿、アホ」のふた通りぐらいの蔑称でしか呼ばなくなっていた。もちろん、さすがに目の前では言わないが、「おい」と呼ぶくらいで名は呼ばず。次兄も名前や兄貴とは呼ばずに「やい」とか土方のおっさんがバイトを呼ぶ感じ。
実際の血縁兄弟にも関わらずやれやれと言ったところだ。長兄は本当にきっちりしていて、だらしないのが何より大嫌いだし、ギャンブルやタバコもやらず、近年酒も滅多に飲まなくなっている。長兄は多分、初婚の母親の血を濃く受け継いでるようである。品が良く舞踊の先生とかやってるらしく、祖母が亡くなった時、九州に行き、一度だけ次兄に連れて行かれて会った記憶がる。まぁ裕福そうな大きな家でよく親父なんかと結婚したなと思ったくらい。まぁ、親父も若い頃の写真は見てくれの男ぶりは決して悪くはないが、性格はまぁデタラメだったからねぇ。
若い頃の長兄の女事情は不明だが、堅物だったこともあり、あまり遊んではいなかったろう。そもそも結婚するまで彼女らしき人を紹介してもらったこともない。次兄は全くの正反対で家に女は連れ込むわ、ハングレの半端者だったが、結婚を機にパタっと真面目になり、子どもはすでに成人して地元の大手酒造メーカーに就職している。初給料をもらった時はお袋を焼肉屋に連れてってあげたらしい。

「あんな馬鹿から、あんなできた息子ができるんだからわからねえもんだ」

長兄はよく笑いながらそう言っている。

ともかく、葬式よりも大変なのが、互助会、保険関係、公共料金の解約関係、役所の死亡後の事務処理、相続の手続き等色々ある後処理だ。これらは手分けして処理をしようと弟と決める。すでに弟が保険関係、銀行等の手続きの金銭的な面は調べており、どうしていくかを決める。といっても地元にいない俺は弟にほとんどのことを委託くことになる。弟といっても末弟で俺ともかなり歳が離れているので、歳を経てもその感覚は変わらない。すでに二人の子も地元で就職しているというのにである。これは親が歳を取っても子供はいつまでたっても子供という感覚に近いのだろう。まぁ大人の男になったもんだなと感慨深くもあり、未だにフーテンを決めている己を情けなく感んじたり。


12日はお袋のアパートに泊まることにして明日の通夜に備える。
色々あって疲れたと言うより、一つの懸念材料に頭を痛める。

一つ下の妹のことだ。
次兄と仲が良く、とりあえず連絡したようだが、忙しくて出席できないという。
この時点で人としてどうかと思うが、もう精神的におかしいのは間違いない。
お袋が更年期障害のひどいものになってると漏らしていたし。
俺は2週間ほど前にメッセンジャーで病態の連絡はしたが全く返事はなし。

半年前からお袋と絶縁状態になっている妹は、その旦那でさえお袋との連絡を絶っている。
通夜は明日だ。果たして本当にこないつもりなのか。
これは次回の仔細にて。

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

ままならぬこと

dsvesb

先日、会社の業務ファイルを整理していたら、昨年、制作したわけのわからないファイルが出てきた。
これはオリジナルで作ったキャラクターだろうが、はて?一体何でこのようなものを作ったのか意味がわからない。
うちは、かなりの確率でイラストをオリジナル制作をすることが多い。主にパンフレットや参考書関連にはなるが点数がかなりのものになる。
しかし、こういうキャラクターものの仕事は滅多になく、何で作ったのかは全く不明。だが作ったことだけは覚えている。

世に出ることもないだろうが、この何とも言えず悪い顔が気に入ったので何となく掲載してみた。
最近はテンプレを使用したレスポンシブデザインなどでwebを作る機会が多い。
世に出回っている商用フリーの素材(特に海外のもの)は、とにかくクォリティが高くて使い勝手がいいのだが、
何でもかんでもオリジナルで制作していた駆け出しの頃を思うと複雑な心境になる。
全くのオリジナルでものを作ることが少なくなってきているのだ。

オリンピック問題で、オリジナルのデザインの所在をサーチしてあばきだすことができる現代。
あからさまな盗用は問題だが、アレンジなどのボーダーラインが非常に曖昧になってきている。
実際、自分の制作している成果物に至っても、期間、費用の問題でフリーのイメージを転用することは多い。
そうなると、デザイン(特にグラフィック)という作業は確かにあちこちからパーツを寄せ集めてバランスをとるだけのルーチンとなっているような錯覚を起こす。デザイナーも受難の時代だ。

疲弊してやる気がない時に、ちょっと遊んでみようと生まれたのがこのキャラクターかもしれない。
これが、何かのキャラに似ているとかそっくりだと言ってもそれはしょうがない。
外形を円で構成された図形に対して、差異はあろうとイメージの帰結点が同一だからである。
業務にも全く関係ないが、この何か企んでいる顔は、自分自身に見えてくる不思議。

繁忙期も過ぎ暇になったが、心は以前楽しめず。自身の体調もあまりよろしくない。
あまつさえ、お袋が心筋梗塞でぶっ倒れてこれまた容体がかんばしくない。
もう歳なので覚悟はいつでもしているが、思うことは「羨ましい」である。
早死にするわけでもなく、子も産んで育てて、みんな成長して、天命を全うして逝けるのだから、これ以上のことはないように思える。

「帰りたい。家に帰って冷たい水をいっぱい飲んで、そのまま死んでもいいから」

病院で繰り返し懇願するお袋だったが、そりゃそうだろう。誰が病院なんかで死にたいと思うものか。
だが、望んだ形で死ぬことができる人が世にどれだけいるだろう。

ほんと

ままならないものだ。死ぬのも生きるのも。
自分もその時が安らかに来るのを切に願っているが、それもまた…。

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

プロフィール

凸

Author:凸
カテゴリー:おっさん
生息地:都内在住
生業:印刷・ウェブ制作全般
血液型:B

カレンダー
03 | 2016/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
ブログ内検索
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。