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チャレンジ

明日から沖縄だが、

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▲沖縄名所 万座毛


これを踊りたい

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間違いなく死ねるけど
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テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

文化の違い

中国:会社従業員がオーナーの愛犬食べる、「野良犬と勘違い」
http://news.2chblog.jp/archives/51873833.html

犬好きの人たちには考えられない凄惨な話ではあるが、
じゃあイルカ漁をやっている日本人はどうなのかと、目を光らせたシェパード犬から横槍が来そうである。

中国は古来より、四つ足は椅子以外は何でも食うとの冗談めいたジョークが有名だが、
実は九州のど田舎でも兄貴たちが幼少の頃まで、自動車にひっぱじかれた犬をずるずると引きずって
鍋にして食っていたそうだ。貧乏な寒村などでは特に珍しくもない光景で、貴重な蛋白源だったらしい。
まさに人は炭水化物だけでは生きられずということだ。

単純に「ひどい!」「何て野蛮な!」「民度が低すぎる」と言い切るには、あまりにも異文化の生活環境を知るべがないと言っていい。中国の貧民街に生きる彼らにはこうしたことが日常であるからだ。
もちろん、俺も犬は好きだし、しかもコーギーなんざ柴犬の次に大好きだ。小さいコーギーを殴り殺して食える神経は、とても理解できうるところではないのだが、それは我々が衣食が足りているからだろう。

まぁ、そんなわけで日本人でよかったと単純に思うだけなのである。

さて来週から沖縄へ周遊することになった。
メンソーレ。生まれて初めての沖縄。
沖縄の空はどんなものだろうな。

では良き週末を。






テーマ : 日記
ジャンル : 日記

デジャブー




目に見えてるものだけが真実じゃない

そう言ったのはデカルトだったか誰だったか。

「デジャブかな」

うつろな目で目の前に並べられた牌をみながらぼやく。

まぁ、見事な糞配牌だ。対子がひとつあるだけで、あとはバンラバラバラ。
まさに十三不塔一歩手前のゴミ手である。
十三不塔とは、ローカルルールで存在する役満やら満貫に当たる手だが地方ルールや身内の中では禁じ手とされているところもある。要はツキがどん底のとき訪れる配牌だ。

それだけ俺のツキは底の底だってことだろう。

「何がデジャブだって?」

対面の黒ブチの眼鏡レンズの奥から、特に関心のない口調で牌を詰もって凱が尋ねた。

「さっきの局も糞手で何にもできなかったような…」

俺はため息まじりに言葉をちぎる。
疲労と寝不足のせいで頭がくらくらしてきた。

下家のタツヲが、トップ目なこともあり、上から目線で軽口を叩く。

「何寝ぼけてんだよ。さっきどころかオーラスまでずっと糞手だとぼやいてんだろ」

「そうか……。夢かと思ったぜ…」

軽口を叩き返す元気もなく、天井に向かって小さく息を吐き出して椅子に沈み込んだ。
勝負に勝ち負けは必然なのだが、こうもカタルシスが欠落している勝負はさすがに萎える。
マージャンというゲームは、勝敗が7割強が配牌の優劣で決まる。無論、その手をあがれなくても勝てなくても、その勝負を楽しむひとときが、配牌の優劣で決定づけられるのは間違いない。

「勝負は時の運だよ。まだ始まったばかりだし」

凱はこう云うが、ここまでツキがないと、ここ最近の運気の悪さもが合点がいく。

1円パチンコでも負け、仕事ではトラブルの連続でそのオハチが回っててんてこまい、その上、今度はお袋からの無理難題に家族間断裂に通風再発、飲みすぎた時のインポ気味な息子ちゃん。

天中殺どころか宇宙天体殺に値する海底2万マイルの沈みよう。あたい見ちゃった新世界。みたいな。
新世界と言えば、アニメでやっててよく見てた。鬱展開すぎてどうにもやりきれない話だったような。

俺は手牌にある中を掌で遊ばせていると、ふとある人の顔が脳裏に浮かんだ。

「そう言えばよ」

「ん?」

「チュンを見ると思い出すな。伊丹さんを」

「あ、ああ…。伊丹さんか」

タツヲや凱、高坂が手牌を眺めながら、思い出したように頷く。
メンツから抜けた周防は奥のソファで漫画の天牌を読んでいた。
伊丹さんは、友人であり先生でもあった俺の恩人である。3年ほど前にチャリでこけて頭を打って亡くなった。
ここにいる奴らも一緒に旅をしたり取材に同行したりして面識はあった。

「なんでチュンを見て伊丹さん?」

高坂がその細い目を少し広げて訊いてくる。

「伊丹さんとよく麻雀したんだけどさ、あの人よく突発的に親父ギャグ飛ばしてたんだよな」

俺は雑に掘られた文字の溝を指でなぞりながら、感慨深げに目を閉じた。

「チュンをポンするときに、チンポーとか言うんだよな。女性もいるってのによ。笑っちゃうよな。あははは」

「……退場」

「最低だな凸さん」

「通報レベル」


口を揃えて3人が俺をなじり出した。

「ちょっ、待てよ!俺じゃねえ。伊丹さんだっつの」

「あ、それローン。満貫」

弁明しながら捨てた牌を見てタツヲが牌を倒してニカッと笑う。

「ぐあっ;」

「ザクとは違うのだよザクとは。ふははは」

タツヲがドヤ顏でシベリア級のガンダムギャグを飛ばす。こいつを今すぐ八甲田山に放り込んでやりたい衝動に駆られる。悔しくて切なくて涙が出る局。

俺は点棒を卓に置くとうつむきながら肩を落とす。


「人ってぇのは、厳しいばかりじゃダメなんじゃねえかな…」

「あ?」

「なんつうか、優しさが必要なんじゃねえか」

「何の話だよ」

「歳寄りをちったぁ労われって話さ」

「ま、今度はあんな下ネタじゃない話をするんだな」

タツヲはそう云うとしたり顔で洗牌を始めた。
うんこー(糞っと同義語)。
しかしこれが今の俺の運。そこのそこの牛乳瓶の底。
そこのけそこのけお馬がひひん。何をやってもダメなときゃダメだ。

動いても死ぬ。動かなくても死ぬ。
人生においてどん底は必ず来る。
ズズズズズズズンドコ運のツキ。

「ところで今日はみさおさんって来るの?」と凱。

「来るよ。まぁ、定番の19時頃だな」とタツヲ。

藤川みさおは未だに現役で信長の野望オンラインを続けているゲーム狂である。
ちなみに織田の悪口を言うとブチ切れて目潰しをするという凶暴な女だ。
飲むときなどは細心の注意をもって言葉を選ばないと命とりになる。

現在は午後の3時。まだ3時間はゆうに打てるのだが、俺は流石に負け続けて吐き気がしていた。
次はちょっと休ませてもらおう。いや、というより何も食ってねえから飯食いに行ってこようか。

カレーかラーメンか。渋谷の駅周辺での選択肢は以外と少ない。立ち食いもあるにはあるが、ゲロまずな店しかねえ。
全く、何がヒカリエだか。小綺麗になっても軽く飯が食える店とか激減してんじゃねえか。
なるほどコブラが天国を嫌うわけだ。これじゃハンバーガさえ食えやしない。

4局目が終わった。言うまでもなくまたドベだ。
4連続ドベとはどういうことだろう。ツキの女神がもし存在するなら、衣服を剥ぎ取って犯しまくってやりたい。というより、女神じゃなく号泣会見の野村のようなおっさんかもしれないのだが。
とにかく緊急事態である。これはデフコン5以上のエマージェンシーだ。

そうか…。これは天が俺にビーンボールを投げたってことか。
確か、先週に1ぱちのエヴァ10で62回の大当たりを出したっけ。もちろん通常も含めてだが。
あれか!あの無駄なツキの放出でリバウンドが来たわけかインジャーラ。

そう。運の定量は必ずある。尽きない運などない。
人は運の放出を一気に出す人、ちびちび出す人と色々いるが、稀に溜めた運気を一気に放出する人が存在する。
しかしその運をあまり効率的でないものに放出してしまう場合が多い。
人は後から後から気がつくのだ。失ったものの価値を、その大きさを。

俺は頭を抱えた。
なんか目の前に小さな天使が見える。

「わろすwwww」

「わろすwwww」

5〜6人の小さな天使が俺の頭の周りをぐるぐると回りながら笑っている。
天を追放されたルシフェルの気持ちがわかるような気がする。
そう。神は人の事象に干渉はしないし救いもしない。ただ静観して眺めるのみである。
神や仏に祈っても俺の運は戻ってこないし、ちんぽも勃たたない。
あらや悲しき我が運命。

「ま、いっか。どうせ地球も滅びるし。ラーメン食お」

悲観的な思考が渦巻く中で、この楽観的というかどうでもい慣れという怠惰な思考。
まさにB型、典型的な負け犬クズの思考。都合の悪いことは、袋に詰めて川に流すという圧倒的な自己中心派。
だがそれがいい。それでいいのよお富さん。


俺はメンツを抜けて、駅からちょっと離れたラーメン屋に入った。

「へい!らっしゃーい。お好きな席にどうぞ!」

威勢のいい掛け声が店内に響く。
ウンウン。いいじゃないか礼儀正しく活気があって。ラーメン屋はこうでなくちゃ。
勝負に負けたらラーメンだ。ラーメンで運を取り戻す。何故かわからないが、ツキがない時はラーメンに限る。
こういう時は、せめてラーメンぐらいは美味いものを食いたい。

豚骨ラーメン、オール普通のオーダー。
見た目も美味そうだ。
ハシで麺を掬って、口に放り込む。

「ぐっ!?」

これは!!


「ぶぇあっ、ま、まっず;」

声に出さなかったが、俺は悲鳴に近い叫び声を押し殺した。
まずいラーメンの解説をしても不毛なのでまずいとかしか言えない。
ここまでラーメンをまずく作れるのはある意味才能だろう。
カレー、ラーメンはどう考えてもまずく作る方が難しいパーソナルな料理だ。

俺はなんとか完食はしたが打ちのめされて店を出た。
勘定するときの店員の兄ちゃんの爽やかな笑顔が切なかった。
腹がもたれて、舌がザラザラしている。ダメだ…もうダメだ。
俺は渋谷の雑踏に紛れながら、スクランブル交差点を背を丸めて歩いている。

俺は陰鬱な気持ちを引きずりながら、雀荘に戻った。
すると、周防がカップヌードルを美味そうにすすっていた。

嗚呼、雀荘で食うカップヌードルのなんと美味そうなことよ。
俺はまたしても牌を切り間違えた。人生は常に選択の連続だ。
そして、それが積み重なって今の自分に反映されている。

俺は周防の肩をポンと叩きながら尋ねた。

「ツカさん、それ、美味いか?」

周防は満面の笑みを浮かべながら

「最高!」とだけ答えたが、その瞬間に対面の高坂の親倍の小三元に振り込んだ。


高坂は苦笑しながら

「あのチンポー(中ポン)が効いたねw」と控えめに下ネタを言った。



【終わり】












テーマ : 暮らしを楽しむ♪♪
ジャンル : 日記

ブラッドB



とかく苦労というものはした分だけ報われるとは限らない。
仕事に至っては、一番苦労した人が一番間尺に合わない仕打ちを受けることも多い。
まさに現在その憂き目に遭っているわけだが、こういうものはとっとと終わらして片付けるに限る。
最初にケチがついた仕事は最後までトラブルの連続になりがちだ。
雨降って地固まるとか、終わりよければ何ぞ滅多にない。
一概に全てが無駄ということもなく、トラブルはそれなりに経験知識スキルを手に入れることもできるが、
鬱積した想いが霧散するわけもなく、忸怩と心の襞となる。
やだやだオラやだもうやんだ。ポール・モーリア チェンバロ奏者。
そんな地団駄を踏む状況に陥ったのも、厳密に言えば己の想定の甘さが招いた結果だろうが、それでもある程度は人に責任転嫁させたくなる。それを言い訳にできないのもわかっちゃいるが、男は辛いよおっかさん。言い訳をいくつ並べてみても、起こってしまったものはどうしようもなく、その後の処理が肝心となる。
まぁ、ついてなかったというよりない。

B型というのは、こういう時、結構楽である。
一時経てば、ま、いっか地球もそのうち滅びるしで大いに楽観的になれるからだ。
しかし10年経ってもこういうことは忘れないのもB型だ。

先日、覚せい剤所持で捕まった清原もB型である。
清原が頑として入手ルートを喋らないのは、ヤクザを怖がっての事ではないと思える。
知人の誰かを庇っていると思われるからだ。多分、芸能界の誰かではと思われる。
B型は小心者で虚勢を張る人が多い。そのくせロマンティックで世話好きで寂しがり屋だ。
清原もその典型だと言える。
清原はいつも人の輪の中心にいて、我々世代のヒーローだった。
しょぼくれたあの形を見ると、寂しさが込み上げてくること半端ない。

だが思う。
清原は捕まって絶対ホッとしている。警察にマークされてビクビク怯えながら夜も寝られない生活から、少なくとも抜け出せたからだ。もちろん、問題は山積みだし解決しなければならないことを考えるとブルーにもなるだろうが、B型はとことん追い込まれると完全に開きなおる傾向が強い。やばいことをして見つからないより、みつかった時の方が安堵感を覚えることがしばしばあるのだ。まぁその後が大変だけどね。とにかく

「ま、なるようになるやろ」

そりゃまぁ、ちっと反省はしているとは思うが、多分これが本音である。交通事故で人を殺したわけじゃなし、とか、最悪の状態を想定比較しながら、あれよりゃ全然マシだよマシとか思っちゃうのである。真の意味で反省することはまずない。浮気してもそうだ。奥さん、B型の旦那は一度浮気したら絶対またやりまっせ。口で謝罪しても反省してませんからね。
やっちまったもんはしょうがない。さて、これからどうすっかなぁと途方にくれることはあるだろうが、B型の楽観的思考は、生きるためには何でもできる。死を恐れて無様でも生き残るのために足掻きもがく。それがB型である。
B型って明るいよねと勘違いしてる人がいるが、とんでもない。血液型の中で最も根暗なのがB型だ。
そして気が変わりやすい。一喜一憂にメリハリがあるから端から見るとわかりやすいのかもしれないが、心の闇が深いのもB型だ。だからB型の女には、世の男はよくよく注意されるがいい。

脱線したが、とにかく周囲があれこれ言うほど、清原は現在の心持ちは安定していると思われる。
つうか、B型だから〜とかいう先入観と偏見は今の時代にナンセンスなこともわかってはいるが、同じ血液型の男として、行動の思考パターンがあまりにもわかりすぎて、その傾向性を信じずにはいられないのだ。

このままだと、刑を終えても多分またやるだろう。間違いなく。
このままならね。

俺の持論は「志だけでは人は変われない」だ。
そこに不屈の行動が伴わないと、所詮は口先3寸で終わるし、特に常用性の高い覚せい剤などを辞めるのは気が狂わんほどの精神と肉体との闘いになるはずだ。
B型は総じて意思が弱い。誘惑に弱い。それは上で書いたように楽観的思考に寄ってしまうからだ。

清原はまず、心のそこから己を客観視して、弱点を素直に受け入れるところから始めるべきである。
弱点を認めるのは、スターだった男には最悪に屈辱的なことかもしれないが、認めなければ何回でも同じ過ちを繰り返すだろう。これは、謙虚さを身につけることにもつながるが、生まれついての性根など変わるわけもなく。ただ、それを良い方向に改善していくことはできる。
ただ、これはすごく難しいことだ。真の謙虚さなど人が身につけるには、人類の平均寿命が3倍伸びても足りないのではないか。
未だに謙虚さなど微塵もない自分を顧みながらそう思う。

清原がどう生きていくのかは、あまり興味もないが、出来ることなら再生して頑張ってもらいたいと願う。
あと「男気」とか、ネタづくりに神輿に乗ってしまった自分の愚を大いに恥じてもらいたい。
そも「男気」などは口に出すものではないし、あんな見かけだけの軽薄なスタイルでもない。
あえて挙げるなら、隆慶一郎の描く前田慶次のような男そのものだ。こんなん今の時代でいるわきゃないが。
B型など「男気」からは最も遠い存在だと私は思う。
だが、B型はとにかくしぶとい。しぶとく、無様で惨めにしがみつきながら生き残り、味方の死体の陰に隠れてやり過ごす。義のために死すなどとは無縁だ。生きてこそと考える。
だから自殺しようと考えたとかいうのは、全くの嘘ではないが、そんなのは一瞬の思いつきで、実際はそんなことはまずもってしないしできない。
そしてB型である自分を気に入ってるのもB型だ。

そんでもって、女性にB型の男とは付き合いきれないと言われるのもB型。
なるほど。

俺がモテないわけだ。糞。


テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

モーリスよお前もか



ボウイに続きモーリス・ホワイトも逝ったかぁ。

青春のパーツがまた一つ消えていく。
バイトしていた焼肉屋で「レッツ・グルーブ」がよくかかっていたが、初めて体から躍動を喚起させる曲だった。

死ぬまでに何人の偉大なミュージシャンの訃報を聞くことになるのだろう。
そう思うと、過ぎ去っていく時代の趨勢を感じいずにはいられない。

音楽の有り様も20年前とは全く違うものになりつつある。
先週、中目黒で一緒に飲んだ音楽ライターもとい、現在は現代アート専門のアートディーラーとしても活躍しているのH氏も、データだけの音の売り買いに愁傷のため息を漏らしていた。

アースのレコードジャケットは、イラストレータの長岡秀星が実に7枚も手がけている。
アースウインド&ファイヤーは一貫して「愛」をテーマに歌い続けていた。恋人達の愛から家族愛、果ては地球から宇宙まで。ボーカルのモーリスの歌声は、銀河に届けと言わんばかりに貫くように美しく優しい。
音楽を聴く=レコードという感覚だった田舎の少年は、レコードアルバムのデザインに魅了され、ライナーノーツに感動し、ターンテーブルにカートリッジから伝わる震える針を落とす行為に浪漫を感じた。

私がアースを聴いていたのは、そんな時代である。

このブログでも数年前にアースの話を書いていると思うが、何だかなぁ。このブログでネタにしたアーティストが死にまくっている。まさに地獄の文か単なる偶然か。といっても、みんな老齢だしまぁ死ぬっちゃあ死ぬよね。

たまにYOUTUBEなどでSeptemberや宇宙のファンタジーなどを視聴することがあるが、アースの素晴らしさはライブパフォーマンスに集約されていると言っても過言ではない。残念ながらライブに行ったことがないたわけ者である。2009年12月に最後の日本公演が行われる予定だったが、結局、体調不全のせいかフィリップ・Bのソロのみだったらしい。晩年はやはり体調が優れずステージに立つことは困難だったようだ。

ブラック・コンテンポラリー、ソウルのトップ・オブ・トップ。
今夜はモーリスを偲んで、冥福を祈りながらLet's Grooveを聴きながら飲もう。
この曲は高校の文化祭を思い出す。あの頃の部活の仲間も元気でやっているのだろうか。

では、良き週末を。



テーマ : 洋楽
ジャンル : 音楽

勝手気ままに偉ぶる魂

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sadasas


最近、何もすることがないかやる気が出ない時、たまに暇つぶしの1円パチンコを打っている。
パチンコも昔のように「いっちょ儲けて今夜は焼肉じゃー!」とか、勝負するという高揚感はまったくなくなった。
パチンコ業界が冷え切って終焉に近いせいもあるだろうが若かりし頃の勢いと情熱が薄味になってきているのだろう。
そもそも儲けようというより、そこそこ遊べればいいという感覚で打っている。
まぁ1円パチンコでも数回5万円近く儲けたこともあるのでバカにはできないが、
そんなことはまずもって滅多にあることではないので、のんびりと2〜3千円の間で楽しんでるというわけだ。
投資も少ないしトントンなれば遊べただけゲーセンよりましって程度だ。

パチ屋で見るのは、昔から変わらない構図だが爺さん婆さんのボタン強連打の光景だ。これも昔よりは減ったと思うのだが、未だに棲息している連打厨は確実に存在する。ボタンを押そうが当たりの判定には一切関係がない。わかっちゃいるとは思うのだが、ボケ防止のトレーニングかと思わんばかりに体を揺すってアタタタと連打する。隣で見ていると、お前は北斗の拳かと突っ込みたくもなるってもの。1円パチンコ如きで必死でボタンを叩き壊さんほど押している姿を見ると、こんなん身内じゃなくて良かったと、己もパチを打っている身でありながら僭越にも勝手なことを思ってしまう。だってーしょうがないじゃないかとえなり君。ああいうのを、自分の孫や子どもに見られたらと思うわねえのかこいつらはと、何か別の生き物に見えてしまうんだよなぁ。
もちろん、品よく静かに水のごとく打っている人も多い。そういう人は席を離れるときも静かに品よく去っていく。挙措にどこか優雅さがあって、見ていて気持ちが良い。
逆に不快に感じるのは、他の台が当たるたびにやたらきょろきょろしながら挙動不審であったり、よりかかるように左斜めに打つ爺さんや、15秒感覚で、ないないと言わんばかり首を左右に振っているおっさん等々。
多少の癖は気にもならない程度だが、さすがに常軌を逸していると思われる奴が隣に座ると、気分が一気に萎えてしまう。連チャンしてなければ速攻で席を立つレベルだ。
パチンコはそのような人の挙措が顕著に出やすい鉄火場でもあるが、普段の通勤でも思うところがある。

女性の早歩きである。朝の急いでる時間によく見る光景ではあるのだが、ビシッとしたスーツなどを着て颯爽と歩く姿は見ていて気持ちのいいものだが、ホームなどを競歩よろしくハイヒールでコツコツと音を立てて腕を大ぶりで歩いていく姿は、お世辞にも優雅とは言えない。もちろん、時間を気にして早歩きなのだろうが、美人でスタイルも良く身なりもうまくまとめているのに、歩き方が雲助に見えては幻滅である。欧米では、早足というのはかなり下品なものと思われるらしく、それならいっそ走ったほうが潔くも見えるらしい。やはりあまりみっともいいものでない。
この間も、スラッとして着こなしも粋な美人がヒールを鳴らして早足でホームを歩いていたのだが、大きく手を振って大股で肩をいからして歩いてくのを見ながら、もったいないと思わずにいられなかった。端から見ると、外見が目立つだけに惜しいなと思える。そして何かしらそんな歩き方をしている女性は、本人はその気はなくてもどこか棘棘しく見えてしまうものだ。
なんとも勿体無いことであるし、見かけはよくても挙措にある種の品がないと、親の躾さえも疑われてしまう。

http://www.biranger.jp/archives/133068
これは歩き方性格判断とも言える記事だが、まぁ遠からず外れちゃいないと思う。まぁよくある血液型判定だから参考程度に。

はたして、よく自分を磨くとか、内面を美しくという化粧品やエステの常套句があるが、内面を磨くなら金をかけなくてもちょっとした意識改革で変わるというものだろう。
日常のちょっとした仕草や言動、それに立ち姿や歩き方。これは男女に限らず、気になるところがあれば改善しようとする努力こそが、意識改革だ。挑戦を始めた時点ですでに変革しつつあるのだから素晴らしいことだ。

フィギュアの羽生や、野村萬斎などの頭のてっぺんからつま先にまで演じるという挙動を再現なく与える表現者のプロを見ていると、常に人が見ている、見られているという意識から、ただ純粋に舞うということに没頭してそれが自然体である人たちとは、次元がはるかに違うが、挙措というものは、生きてきた経験そのものが挙動に出るので、簡単にできるようでいて非常に難しい。
一つを取り繕ってもどこかでボロが出るし、そもそも、立ち振る舞いなどは出生の貫目も如実に現れるものだ。

だから、普通に自分が気に入った挙措を真似るだけでもいい。俳優や女優、能や歌舞伎の役者を見て、ああ優雅だなとか品があるなとか、もちろん身近にそんな人がいればお手本にしてもいいだろう。いいものを真似るのはいいことだ。見習いは見て習う、まさに全くその通り。盗むにしても上手に盗まないとただの真似っ子痛い子中二の子になっちまうからご用心。
とにかく外見は並でも、挙措一つで印象がガラリと変わるものだ。優雅な挙措というのは、立ち振る舞いの中に品格と優しさが混在しているものだと俺は考えている。

結局、南極放送局からご挨拶で、結論は愛だろ愛。ってことで、おっさんの偉そうな意識高い系の話は終わる。
もちろん、これは俺の自己見解で生きてきた中での経験と知識によるから、人はまた違った解釈があるだろう。
ただ、これだけは言える。これだけは言えるよマジでマジ。ヘルマンヘッセの詩集のように甘く切なく限りなく。
ま、1パチ打ってるパチンカスが挙措どうこうとか言えた義理じゃねえなと自戒もしたり。
んなことわかってるっちゅうの、ははのはーだ。

全然関係ない話だが、昔読んだ読み切りの作品を唐突に思い出すことがある。
古いヤングジャンプ掲載の作品だったと思うが内容はこうだ。

結婚したい遊び人風の適齢期の女と、オカマの青年が友達同士の繋がりでルームシェアしている。
もちろん肉体関係はなく、純粋な友人同士。
それぞれに恋人がいるのだが、女が妊娠してしまう。彼氏とはそのまま結婚したかった女だが、
どうせ俺以外にも遊んでいて種は俺じゃねえだろと知らぬ存ぜぬでバックレ。
まぁ男性的にもこんな男はす巻きにして東京湾に叩っこんでやりたいところだが、
女は実は派手な外見と裏腹な一途なタイプで、一人で産んで育てると決心する。
同居しているオカマの青年はそれを聞くと、泣きながら一緒に育てようと提案する。
それを付き合ってる彼氏に相談すると、勘違いされてお前が腹ましたんだろうとボコボコに殴られて、せっかく入れた歯をたたき折られる。ちなみにその彼氏はチビデブニキビのブサメンで、オカマ青年は女みたいなイケメン。
オカマ青年が家に帰って、事情を話すと、泣きじゃくりながら謝る女。
泣いている女をなだめながら、青年が「いいんだ。もうわかったから」と微笑む。
二人が見る未来は、成長した子供と暮らす3人の家庭のイメージが柔らかい光の中に包まれて終演。
何か味わいぶかい作品だったなと記憶しているのだが、タイトルは失念している。
絵柄を見りゃ作者の名前はわかるんだけど。ま、それだけなんですがね。


先週、大阪から出張の友人が来て昼食に顔見知りのスペイン料理屋に行ったら、スーツを着てネクタイを締めた俺をマスターが別人を見る目で驚嘆していた。あんたもかい!さらに先週の土曜日に中目黒でちょっとした飲み会があったが、その席においてもスーツの俺を見て驚かれた。久々に会ったメンツからは何が起こったのかと散々言われた。おいおい;
俺ってそんなに普段ひでぇ格好してたんかいなと、さすがに考えるわマジで。
う〜〜ん…。よくよく思い出したら、まぁあるかもだな。うぇっ;
全く自分のことはよくよく客観視できんものだなぁ。全く考えさせられますなぁ。

そんなわけで、新しいスーツを新調したいのだが、3月には沖縄に行く予定ができたのでちょっと無駄使いはできないという悲しさよ。しかしJTBよりJALのパックのが安いとは、教えてもらうのがちょっと遅かった、とほほのほで本日は終了の巻。


テーマ : 今日のつぶやき。
ジャンル : 日記

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凸

Author:凸
カテゴリー:おっさん
生息地:都内在住
生業:印刷・ウェブ制作全般
血液型:B

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