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宇宙を考えた




cosmo


スマホの無料アプリで宇宙の解説がなされているものがある。
そこで宇宙の大きさについて解説している動画を見た。

太陽系から銀河系果てはミルキーウェイを飛び越して。
そこまで行くともはや概念論でしかなくなってくるわけだが、とにかく宇宙って何だろうと考えた。
クラウズのはじめみたいに考えた。

宇宙って何すかねー。何なんすかねーと。

俺が無知ながらも考えた宇宙というのは、とにかく無限である。
これは仏教思想にもよっているが、マクロの宇宙。ミクロの宇宙と終わりはなく連鎖しているのではと。
つまり物質の原子レベルにも様々な宇宙が存在していて無限に広がっていると考える。
これはガキの頃、NHKでやっていたキャプテン・フューチャーのアニメを見ながら子供心に思ったことだ。
つまり終わりがないということ。原子レベルからさらにミクロ化していくと宇宙空間につながり自分の大きさはかなり巨大なものとなって地球が野球のボールなみになっている。

しかし、宇宙それ自体が生命体と捉えるなら、始まりと終わりが必ずあるはずだがと矛盾が生じてくる。
俺は物理学者でもないしその方面の知識はまったく乏しい。
が、ゆえに初歩的な疑問に立ち止まってしまう。

宇宙っていつ生まれたのか始まったのか。
そもそも生命ってなんのために存在しているのか。

ここまで来ると自我が崩壊してしまいそうだからやめておく。

宇宙はいったん置いといて、少し近いお馴染みの火星の話題にしておこう。

火星に蟹がっ!!!
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これがやらせではない保証などまったくないが、実際、火星の事情なぞ結局のところ人類には未知の領域であることには違いない。
俺たちが生きてるんだから、宇宙のどこかに同じような生命体がいるのは事実。
宇宙に俺たちみたいな知的生命体が存在しないと考えるほうが無理がある。
そしたら火星にだって知的生命体とは言わんが蟹や海老がいたっていいじゃない。
火星環境下で生命を維持できうる生命だっているかもしれない。
むしろ、いてほしいという願望のほうが強いわけだが。
人類の叡智とよく言われるが、宇宙について結局ほんとのところはどうなんだというと
実証できる答えなぞ数少ない。それはそうだ。人類の知識や技術などまだほんのよちよち歩きだもの。

いい例えがある。

さて人類は地球の歴史と言われる46億年の中で、いったいどのような存在なのか。
地球の年齢を1年と換算して例えてみた話があった。

俺たち人類が生まれたのはいつか。

地球年齢で換算すると、大晦日の除夜の鐘が鳴り終わる寸前におぎゃあと産声をあげたばかりだそうだ。
時間にして約15秒ほどということらしい。

人類の歴史なんぞ、地球歴1年のうちの15秒程度だということだ。
そらまだまだはいはいもできない赤ん坊ですがな。

そうすると、はるかに文明レベルが高い地球外生命体は、我々と接触することさえ1万年と3ヶ月はえぇなと思ってるのかもしれない。対等の立場に立って意思の疎通をするレベルまで達してないと。

地球は深遠なる大宇宙の中では辺境の野蛮人が巣食う未開の惑星と認識されているのかも。
ここまで来るともSFの世界だが、宇宙に関しては何が正しくて何が間違っているのかすらわからない。
地球から遠く離れた惑星なぞもう大きすぎて想像力の概念を通り越している。
考えられるか?地球の100倍以上の星が普通にあるんだ。
もし地球環境で質量が100倍とかならすげえなあ。というか太陽もそれ以上にでかくなけりゃいかんのだろうが。
今や人類はいくところがなくなったというほど地球を探検しつくしているが、それほどでかい星だったら言語や姿見どころか、生態系の違う知的生命体もいそうである。100倍とか何世代に渡ろうが完走できんやんか。

いつしか、人類も宇宙への星間飛行ができるような時代になるだろう。
その時代に生きていられないのは残念なことだが、想像するとワクワクする。

学者が考えたギガパーセクの数値など、俺にとって意味はない。
自分が感じうる最大の世界が宇宙であり全てだと思うのである。

だってもうでかすぎて考えるのもかったりーしな宇宙って。
ブラックホールがみつかったーだの、エウロパ計画進行中だの、宇宙のニュースには枚挙に遑がないわけだが、
結局、ワープ航法できなきゃイスカンダルも見つからねえし。

まぁ、宇宙はそこかしこの周りのもの全てに宇宙があるってことで。

ターザン山本風に言うならば
宇宙はつええよ!宇宙はつええよまじで!

日常の瑣末な雑事や悩みからいっとき解放されたきゃ宇宙を考えるといい。
宇宙にも因果やなんらかの意思が働いているはずだから、もしかすっと、いい方向を見いだせるかもだ。
断言はしねーけど。

宇宙って何すかね。何なんすかね。

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テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

エール



そこに応援したい人がいる。

誰でも一人ぐらいはいるものだろう。
夢なのか明確な目的なのかはその人個人にしかわかりかえないが、
目指す方向に邁進している姿を見ると胸がときめくものだ。

エールを送りつづけるわけではないが、目的を達した笑顔を見たいと思う。
楽な道ではないだろうが、頑張れと言い続けたい。
まさに他人事ではあるのだが、それでも伏してそう思う。

人は他人の成功美談なぞに心を動かされはしない。
逆にうぜえよと思ってしまうのがほとんどだ。
矢沢永吉の「成り上がり」などを若いころに読んで、テキストを書いたのが糸井重里。
彼のあとがきに、「矢沢はこうやった。うらやましければあんたもやれば?」というニュアンスの字句があった。
その言葉に心を突き動かされた青年達も当時はいたことだろう。
矢沢という時のヒーローだからこそ成立した物語だ。

我々は凡人である。類まれなる非凡な才をひめたものでもビートルズになるには時が遅い。
時代の英傑たりえるのは、その時代に適合した何かを持たなければならない。

だが、誰もが知りえる何者になりえなくても、何かはできる。何かは残せる。そして何かの達人にはなりえる。
あきらめなければ。
大いなる凡人は天才を超える。俺はそう思っているしそれを見てきた。

一人の友人たる女性は、今もなお夢に向かって邁進していることだろう。
無論、いくつもの難題を抱えつつ日々苦悩しているはずだ。

それでも歩みを止めずに、前進する力こそ明日への希望とつながる。

よく死んだつもりになってとか言うが、そんなのは無理だ。
実際死んでみなけりゃわからない。
だが、生きてこそ見えてくる真実も多いはず。

ポジティブな人ほど、つまずくと暗闇の沼に落ち込み這い上がれないという。
だから俺は応援し続けよう。
必死でもがいてそれでも光を求めてあらがうその人を。

はっ!

これは中二か?中二なのか!

くくく…。俺の左腕のライジングスキルが疼いてならない。
願わくばこの地に大いなる深遠のアブストラクトを!

って、何を言ってるんだ俺は…。逝っちまってるな。

まぁとにかく
踏ん張ればそれだけで人生は勝ちだ。誰でもだ。
そうすりゃ誰でも同じく負けの人生はない。

シャウトし続ければ必ず見える明日があるってもんだ。
そうして勝ち取る何かを掴むのが人生だ。

……ああ恥ずかしいw言わせんなよ

テーマ : 雑記
ジャンル : ゲーム

秋茄子



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茄子は勤勉の象徴だという。
貧乏武家は、内職などをやって家計のたしにしていたのは小説でもよくある話だ。
毎日欠かさず丹念に水をやる。でなければいい茄子はできないという。

茄子はガキの頃から味噌汁の具材として定番だったが、俺はどうにもこの茄子の味噌汁は苦手だった。
成人してからも好んで食うことはなかったが、居酒屋では、ごくたまに茄子の味噌漬けなどを頼むときがある。
本日はそんな茄子に思いがけずして出会った喜びを記そう。

秋の風があの苛烈な酷暑の傷を癒すように神保町を吹き抜けていく。
空は快晴。月曜日だというのになんとなく気分は軽い。
先週の陰鬱とした曇天続きでいささか滅入っていたせいかもしれない。

午後1時になり、腹が減ったなと外に出る。
昨日は麻雀打って多少飲んだので、本日は蕎麦にしようと決めて九段方面に歩いていく。

信号を渡ってふと足を止める。
蕎麦は蕎麦でもたまには美味い蕎麦を食いたい。
いつもは立ち食いの小諸蕎麦なのだが、今日はちょっと贅沢にいってみるかと以前に1回だけ会社の人たちと行った蕎麦屋を目指す。門構えのしつらえがいかにもで高そうだ。本店と暖簾に記してあり、老舗っぽい。
前に来たときも会社の人が払ってくれたから値段は覚えていないが、決して安い値段ではなかったはず。

暖簾をくぐる。

品のよさそうな年配の女性がお一人ですか?と聞き、うなずくとテーブルへと案内してくれた。
店内は間接照明の光が差し込む薄暗い印象。決して陰気な感じはしないが。
4人掛けのテーブル席は4つだけの狭い店内。しかしその4人がけの席の贅沢なまでに面積が大きい。
6人がけで座っても余裕なくらいだ。
客は左と右に一人ずつ。やはり年配の人だ。それに席と席の間がかなり離れていてこの空間に3人だけはがら空きの感覚が否めない。
おしぼりをもらって、品書きを手に取る。

やはり一品一品は普通に昼食というには高い。
最初に目に入ってくるのはテンプラの3点盛り2,700円也。
さすがにこれは旅先でもないのでパス。

一番安いのは1,200円だが、ここまで来たら一番安いものを頼むってのも癪だ。
こんなところで5~600円をケチるくらいならタバコなんぞの嗜好品は嗜んでいない。

目に入ったのが茄子のぶっかけセイロ。1,600円。
ナスか、秋ナスは今が旬。
下手すりゃビールか日本酒を頼みたいとこだが、月曜の昼から職場の近くで飲むってのもけじめがないし、オツでもない。

茄子のぶっかけセイロを頼んで待つこと10数分。
さすがに立ち食いみたいにささっとは出てこない。

お待たせしましたと出てきたのは切り身が入った茄子と鰹節、大根おろしが入ってぶっかけ蕎麦。
茄子がなんとも美味しそうな芳醇な香りを放っており、一口頬張ると、まさに秋の旨味の凝縮された素晴らしい茄子。
うめぇええええええ!!!!超うめぇええええ!!!!いい歳ぶっこいてそんな恥ずかし振る舞いをしてしまう衝動に駆られたほどに。
小さい秋小さい秋見つけたならぬ、茄子みっけ。

たちまち完食して蕎麦湯を飲みながら一息。蕎麦湯もこれまたとろりとして甘みがある。
一人静かに秋を味わう。また楽しからずや。
いささか、昼にしては高くつきすぎたが、これは確かに1,600円の価値はある。
いつもは昼飯時の喧騒に紛れて昼食を取っているが、静かに食を味わうのもたまにはいいものだ。
それがおいしいものならなおさらである。

秋ナスは嫁に食わすなとか、昔は嫁に贅沢を覚えさせるなの戒めかと思ってたがそうではなかったことに気がついたの30歳すぎてから。
茄子はとにかく体に良い。本日は茄子を買ってクックパッドなどで調理をしてみるか。
そこに14代とか獺祭があれば最高だが、なかなか手に入らない酒になっっちまったのは残念。
初孫あたりにしておこう。

しかし怠け者の俺が茄子を好むようになるとは、これまた人生の皮肉というか。
これまた味わい深い人生ではあるなぁ。


テーマ : 雑記
ジャンル : ゲーム

やべ;健忘症か

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むかーし、友人から頼まれてデザインしたもの。
バンドはすでに解散してその友人も会社員になっちまったけど、
夢を見ながらやる気に溢れていたあの頃。確かその頃フリーランスだったと思う。

が、問題はこれをデザインした記憶がないという。
しかし過去の記事を探ってみると確かに俺がデザインしているんだなこれが。
キャッチコピーも俺のはず。

やべーな。まじで色々記憶を失くしている。
どうでもいいものとかは当然忘れているものもあるんだが、
楽しんで作ったものは忘れてないはずだがなあ。
ちなみに彼らのアルバムジャケットも作ったのは覚えている。
彼も元気かなぁ。結婚して子どももできていいパパになっていることだろう。
しかしかといって音楽を辞めたわけではないとも言ってたっけ。
それで飯が食えなくても趣味でも音楽は続けられるしな。
FACEBOOKなんかでは繋がっているものの、こちらもほとんど利用してないし彼もほとんど使ってない模様。
ま、生きていたらどこかでまた会う機会もあうだろう。
しっかし、ほんと忘れてるものが多すぎる。
アルツとか生きながらにして死んでいくみたいなもんだと、渡辺謙の映画でやっていたが、
あれは見ていて寒気がした。記憶を失くすって怖いよなあ。

都合の悪いことは忘れていかんと、精神に異常をきたすらしいが
大事なこと楽しいことは忘れたくないなあ。

よくあるのが、ギャンブルで負けて次の日には忘れているというダメパターン。
これはだめねだめ。

先日、友人がつきあっている会社に二人で営業もかねてお邪魔したが、
社長自らが出てきたので、ほうと感心した。
そこそこの規模の会社でトップに可愛がられているとは大したものだ我が友人。
最近のポートフォリオを役員の方に見ていただいて、まぁ仕事は早速きている。
その晩は新宿の焼き鳥屋で16時から21時頃まで友人と酒盛りしつつ、これからの展望を話し合う。
ま、所詮こっちはリーマンなのであくまでサポートに徹するという形だが。

だが、いままで色んな場所で仕事してきたものが全ていまに生きているのが嬉しい。
その時は、なんでこんな;と嘆いたものだが。それがあってこその今なのだと感慨深い。

大風呂敷を広げるわけでもないが、携わってきた年月を考えればできて当たり前のことを当たり前にやれるだけのことである。逆に20年以上もやってきて、仕事に自信がなかったらそれこそ話にならないだろう。

佐野さん関連の話題は、一時期より沈静化したように見えるが、
まだまだ暑い夏は終わらないといった感じでバッシングは続いているようで。
今はまぁ隠れてるのが一番だろう。何を言おうが燃料にしかならんし。
しかし、ここまで1デザイナーが叩かれる構図ってのは初めてじゃないのかな。
自身が招いた結果とは言え、少しだけ同情を禁じ得ない。

話は変わるが、故友人ライターの親友だったシーナ&ロケットのシーナさんも少し前に亡くなったという。
三茶の居酒屋で隣で飲みながら九州の話で盛り上がったのはいい思い出である。
あの時、俺の兄貴が持ってきた北海道のカニを鮎川さん一人でたいらげたんだよなぁ。
友人のライターも呆れて笑ってたっけ。
いい人たちってほんと早く逝っちまうね。俺はそうなると長生きはできそうだが、どうだろう。
どんどん息苦しくなってくる日本で長生きしても、もういいことないような気もするけど。

と、たまにネガティブ思考に陥るのだが、一瞬で忘れている俺最強。
今まで生き恥を晒して生き延びてきたのは、ひとえにこの念能力「永遠の忘却」のおかげかもしれない。

金曜日だよなあ。雨が降って巷はえらいことになってたけど、すげぇ暑い夏が終わったらすげぇ降雨で世界の終焉も近いんじゃないのか。

ま、いっか。どうせいつか地球も滅びるし。

んじゃ、良き週末を。ちゃお。



テーマ : 雑記
ジャンル : ゲーム

佐野さんはビリケンの顔に似てるか

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やべえぇ。大変失礼ながら似すぎていると思ってしまいました。
すみません。でもこれを見るたびに思うけど佐野さんって一緒に飲むと面白かったりするかもと思いました。

えーまぁ、なんとか生きてはおります。
最近、業務以外でバイトをしております。
もちろん、デザイン制作ではありますが。

昔の同僚の友人からの依頼ですが、それに伴い来年あたりに引っ越しを考えております。
今住んでいるところが嫌になったわけではないのですが、
一時的避難で引っ越してきた感は否めないので、いい町で暮らしやすく便利すぎるほどなんだけど、
やはり、自分にはどこか違うなと違和感がずっとありましたね。
そのバイトの件もあり、友人が住んでいる町へ引っ越そうかなと。
打ち合わせも楽だし、会社へのアクセスも楽だし、何よりいっぺん住んでみたかったところなので。

友人はweb開発専門ですが、なぜかデザイン制作が絡む案件がきてしまいなんとかならんかと相談がきて、
まぁ、土日とかでまかなえる量ならと案件を引き受けていたというわけです。
実際、金額もそこそこなのでありがたいですね。これからでかい案件も入るので助けてくれと言われていますが、
こういうのは、ほどほどにやるのがいいのです。欲を出しちゃあいけません。一応、うちの会社は黙認してくれますので問題はないです。
友人もフリーランスなので、これが若いころだったら、退職して二人で会社をとか安直に考えたでしょう。
事実、若いころそれをやって失敗しました。作業分担とギャラの割合でもめましたね。いやぁ、あの時は自分にほとんど非があるので何も言えないのですがね。
あくまで会社員としての暇なときにのアルバイトというスタンスがいいですね。

ま、金額以上に、やはり暇でぶらぶらしているより、何かを考えて作っている時のほうが楽しいという。
やはりデザインが好きなんだなぁと改めて実感した次第です。はい。

一連のデザイナー佐野氏の騒動ですが、佐野さんより長くデザインに携わってきた一介の無名デザイナーの所感を僭越ながら言わせて頂くと、

佐野さんはデザイン自体が好きなのではなくて、面白いことならなんでもよかったんじゃ?と思われます。
彼の作品例を今回の騒動で見る機会があったのですが、どうも一貫したテイストが感じられず、佐野さん流というものがなかったように思います。彼のポリシーとしては、デザインは形がかっこいいものならなんでもいいというスタンスなのではと疑ってしまいます。ある意味それも真理ではあるのですがね。
長くデザインをやってきた人は、必ず自分の流儀が生まれてきます。自分も、「あっ、これって凸さんのデザインだなとわかる」とか、よく言われますがエレメントや構図が違っても何かしら、匂いというかスタイルというかそういうものが制作物に反映されてくるわけです。それは技術云々以前に、デザインに込められた情感というか、パーソナリティの投影とかそんなものが制作物にはしみ込むのではと思います。

臭い言葉いうならば「愛」でしょう。
もちろん愛せない仕事もたくさんあります。
ギャラがなくて面白みがないもの、安くてめんどくさかったもの、クラの担当者が嫌いな場合、修正が多すぎて形が変わってしまったもの,etc

これらはもう自分にとってデザインではなくなります。ただの作業です。
デザインはもちろん自分にとっての活計(たつき)ですが、その前に遊びであり趣味でもあります。
楽しくなくては遊びじゃないのと一緒です。楽しくなければ飽きっぽい自分は三日で辞めてます。

佐野さんには失礼かもしれませんけど、「デザイン愛」はあまりなかったように感じられます。
おそらくスターデザイナーを育成して世に出すシステム自体が、ここにきて瓦解しているのでしょうが、
この騒動が我々デザイン制作をするものにとってのエポックメイキングとなるような気もしています。

デザインって、後付け理論で案外どうにでもなっちゃうんです。
アートの絵画などもディーラーの手腕で金額はつり上がったりしますが、それと変わりません。
有名な方がデザインしたものにおいそれとリテイクは出せませんから。たとえそれがあまりしっくりこなくても。

セオリー、定義、理論など基本は当然いくらでもあります。
それらを踏まえてデザイン制作を行うわけですが、自分の理論は少々乱暴ですが

結局、他人が見て、気持ちいいか、悪いかに帰結すると思っています。
もちろん興味がある人に対してですが。興味がない人にデザインを見せてもふーんで終わりますから意味はありません。

商業デザイナーは自分の「作品」を作っているわけではありません。
あくまでクライアントのメッセージと意向をビジュアル化して提供するのが役割です。
最初に師事したデザイン会社の社長からよく言われました。
クライアントは他人の金で君の「作品」を作らせるほど暇も金もないよと。

佐野さんは優れた営業、もといクリエイティブ・ディレクターではあります。
それは結果が示す通り、コネだろうがなんだろうが仕事を持ってきて回していたのは事実です。
コネがあってもそれだけでは仕事は潤沢に回ってはきません。
惜しいのは、その才を散々雑な仕事をしたツケで一瞬のうちにゴミにかえてしまったことです。
あとは謝罪の対応を完全に間違えましたね。多分、喧嘩慣れというかトラブル慣れしていないのでしょう。
特にフリーのデザイナーは、トラブルと戦う仕事でもありますので、フリーの時分はとにかく折衝や後始末が多かったですね。恥ずかしながら、こちらも不義理をした案件がないとは言えません。若いころとは言え恥ずかしい限りです。
しかし、仮にも日本を代表するデザイナーの肩書きを背負っていたのですから、もうちょっと余裕を見せて謙虚な対応をすればベルギーのデザイナーの考えも軟化したのではと思います。
駆け引きが下手でしたね。

佐野さんの出身母校の多摩美も、佐野氏以外に色々と問題が掘り起こされてきてますが、我々も創造のモラルを今一度考え直さなければならないと思います。ネットで簡単に手に入られらる素材。今までは撮影してイラスト制作依頼したり、とにかく考えてました。それは当たり前のことでしたが、人は楽なほうに流れる生物です。

でもね、企業や役所も悪いんですよ。とにかく金をださない。カメラマンの1日の拘束料金とスタジオ撮影フィーの相場を知っている方ならおわかりでしょうが、ビジュアルの撮影料、制作料もでないのが普通になってきています。
そりゃフリー素材とかレンタル素材とか使っちゃいますがな。予算が出ないんだもの。
カメラマンやイラストレーターも受難な時代ですが、この事件を皮切りに、やはりフリーイメージとかダメだな、予算を多めに取ろうとか思ってくれたら幸いです。
クォリテイを求めるなら金は惜しむべきではありません。極論ですが、本当にいいものには安いものはないのです(色々矛盾はしていますが)。

いま、デザインに想うことは、この先いつまでデザインができるかなということです。
この世代ではデザイナーというよりディレクターが多いとは思いますが、亀倉氏のように「デザイナーは無名でいい」のと「生涯アルチザン(職人)でありたい」と思っています。

世間では、グラフィック・デザイナーはコピー&ペーストするだけの簡単な仕事かとか言われてますが、
自分の世代のデザイナーはなんでもやるのが基本でした。
絵も描く、写真も撮る、コピーも作る。版下は当然でロゴのトレースさえカラス口で作ったり、グラデのボケ足をコンプレッサーで作ったり。
現在は実作業を含めて企画・提案書制作、実務計画書制作、絵コンテなども通常業務でやっていますが、とにかくなんでもやるのがグラフィック・デザイナーです。

企業のロゴ制作にしても、例えば企業のCIのVIになるわけですが、コンセプトからマーケティング、企業スタンスなども含めて入念に調査しながら、最低でも100以上の案を考えます。
決定稿は、カラー案で4色、2色、1色、RGBのバージョンを作成し、パントーン、DICの割り当ての設定を行います。
また、想定されるあらゆる媒体使用時のガバナンスを設定します。

例えば、名刺で使用する場合の大きさ、配置する上下左右のクリアランスなど、本当に細かく色々設定するんです。
そしてそのパターンも各種制作します。素人の方には気が遠くなるほどの分量ですよ。
オリンピックのロゴの制作料が100万とかは安すぎかなと思いました。国の催事のエンブレムの制作料金がたったの100万?他の国では考えられないですね。しかも都の仕事は全て買取仕様のはずですから、制作者にはそれに伴うインセンティブやロイヤリティは一切入らないはずです。
この部分を考えると佐野さんも少し気の毒というか、代償のほうが高くつきすぎたというか。
とにかく素人の方々が思っているほど、ロゴ制作は単純ではないのです。
とは言っても、じゃあ素人がロゴを作ったらダメなのかというとそうではないです。
原案をもとにブラッシュアップでデザイナーが関与すればいいだけのことですから。

ともあれ
自分はこの先もデザインで生きていくでしょうが、件の事件でやはり思うところがありました。
その意味では、これを警鐘と捉えて新たにデザインという大いなる遊びに向き合って行こうと思います。

ひとつ屋根の下の江口洋介のセリフが思い浮かんできました。
佐野さんに聞いてみたい一言です。

「そこに愛はある(あった)のかい?」

テーマ : 社会ニュース
ジャンル : ニュース

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凸

Author:凸
カテゴリー:おっさん
生息地:都内在住
生業:印刷・ウェブ制作全般
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